トヨタ市の自殺について考えたこと

自殺したトヨタ社員の奥さんが、原因は過労とパワハラによるものだとして、国を相手取り、労災を認めなかった労働基準監督署の処分取り消しを求める訴えを起こしたことがニュースで報じられていた。

訴状によると、男性は2008年4月からトヨタ三好工場(同県みよし市)で自動車部品の生産ラインを造っていたが、リーマン・ショックの影響による人員削減に伴い、09年7月以降は「残業ゼロ」の方針で業務が過密化。上司から指導の適正な範囲を超えたパワハラがあったという。男性は同年秋から妻に「上司から罵声を浴びせられる。経験したことのないひどい叱られ方をされ、けちょんけちょんに言われる」と話し、12月にうつ病と診断され、10年1月に自殺した。

「トヨタ社員の夫、過労とパワハラで自殺」 国を提訴:朝日新聞デジタル

2009年に被雇用者の自殺が一番多かった警察署は愛知県豊田市だという調査結果が発表されている。その時に書いたものを、もう一度掲載したいと思う。

自殺の地域特性で考えたこと 

吉本隆明さんが1979年に行った「シモーヌ・ヴェーユの意味」という講演の中で、そのヴェーユの戦争観について「いわば戦争は、他の国がどうこうするということじゃなくて、自分の国家機関あるいは国家権力というものが、自分の国の大衆を殺させるということ、それが戦争なんだと言っているわけです」と説明しています。

きっとそうだとボクも思います。戦争をしなければならない、殺略しなければならない、という理由とか動機とか、あるいは空気なんてものは、いつのまにか、たとえば離島にいたとしても、国家の力をもって伝染させ蔓延させてしまうのでしょうね。秘密裏に巧妙に、です。

「単なるナショナリズムは愛国という高度な倫理とは別のものである」として「幕末の攘夷思想は、革命の実践という面では、ナショナリズムという、可燃性の高い土俗感情に火をつけてまわることだった」と司馬遼太郎先生が「この国のかたち:朱子学の作用」で書いているように、感情に火をつけて煽る、という「政治意図から出る操作」を行って国を潰滅させてしまった太平洋戦争を考えれば、戦争というものがいかに「自分の国の大衆を殺させる」ことかというのが分かると思います。

武力による戦争が、冷戦の終結とともに終わった途端に、世界がグローバル化して、そして経済戦争が激化したように思います。政治的イデオロギーは、同一同質の経済的イデオロギーに変遷してしまいました。資本主義、市場経済の中では、いかに物を造って売るかという新たな戦略が国家単位で行われるようになって、その戦争に勝つということはいかに利益を上げるかということになりました。

国民、労働力が兵士として、その経済戦争で闘うことになりました。高性能で安価な武器をどれほど使用できるかが戦力として語られるようになりました。その労働力が国家権力で特攻隊のように殺されてゆきました。そしてまたもや20年という年に敗戦をむかえたのが、今のこの国の現状でしょう。

「自分の国家機関あるいは国家権力というものが、自分の国の大衆を殺させるということ」を経済戦争でもおこなってきたのです。火をつけ煽るようなことも行っていました。「国際競争力」と言っては、それがなにかナショナリズムの金科玉条のようにのたまう参謀もいて、それを根拠あるいはそれを担保に賃金を抑制して派遣を容認する人もいまだにいます。国のために命を落とせとヒステリックに叫んでいるようにしか思えないのです。それで国が救われるわけではないのに…。

今度こそは、誰が本当の戦犯かを白黒付けないと、また進駐軍にチョコレートをもらって、そして安保でお茶を濁したような鬱屈した終わり方を繰り返すのだろうと思っています。

被雇用者の自殺が一番多かった警察署は愛知県豊田市だという調査結果が発表されています。そして恐らく、その自殺者のほとんどが自動車関連の企業で雇用されていた人たちでしょう。戦争の犠牲者なのでしょう。

#人口比率だと異常な数字かもしれませんね。

倒産・リストラによる自殺を防げ! / SAFETY JAPAN [インタビュー] / 日経BP社
被雇用者の自殺が一番多かった警察署は愛知県豊田市です。


このブログでも何度か書きました。

五月の雨
トヨタ自動車社員の自殺者が多いということを以前にも書いたことがあるのですが、これは単純に従業員が多いという問題でもないと思うのです。何かが少し違うんですよね、現場って。異様な空気というか、沈黙というか、薄暗い休憩室、最新の車、澱んだ空気とか。

多くの人が悩み苦しんでいるのだろうと思います。現場で働いている人たちは、切られる人たちを「他人事」のように思えるはずもなく、ました叫び声や泣き声、哀しみや苦しみを直接聞いて感じ取っているのですから。その声や気持ちが、夢の中で繰り返される、そして呪縛する。仲間を見殺しにした自責に苛まれる。

ということが起きているのだろうと。

今年はもう少し増えるのでしょうね。犠牲者が。大政奉還したところで、何も変わらないのだろうと思っています。国益のために人は殺されるのだから…。

 

…ここまで

自動車工場?それとも自??工場?

ということも書いたりした。

きっとあれからなんのカイゼンもされずに、交通事故死と同じように、労働者の自死についても日本一の不名誉な冠を頂き続けているのだろうと思っています。
死ぬまで、あるいは、死ぬほど働かなければならないのでしょうか。
人生はひとつだけれど、職場なんていくらでもあるのに…。

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