幸せはタクシー次第
山田詠美さんのエッセー「幸せはタクシー次第」を読んだ。(そう言えば期間工として寮生活していた頃、「せつない話」はボクの枕元にいつもあったなあ)
ああ、ずいぶんと考えさせられる文章だなあ…なんてつぶやいては、頭を整理するために、こうしてブログに書き始めた休日の朝。
あれをタクシーとして使う利点とかって、どういうものなんだろうか。燃費が良いとか、小回りがきくとか、そういうこと?
「あれ」とは「小さな家庭用ワゴンみたいなタイプ」と山田さんの感じているジャパンタクシーのことだろう。確かにそんな感じがする。黒塗とか濃藍とか言われる色のタクシーだと、それなりなり(ロンドンタクシーっぽく)に見えないこともないのだけれど、カラーリングによっては「家庭用ワゴン」、いや、なんだか、おもちゃみたいに見える。
「タクシーとして使う利点」という前に、日産やマツダ、三菱がタクシー仕様車から撤退し、トヨタ自動車のトヨタクラウンコンフォート(画像左)も生産中止になり、今はタクシー仕様車としては、「家庭用ワゴンみたいな」ジャパンタクシーしか使えなくなった、というのが業界の「せつない話」なのだ。
これまでタクシー車両と言えばセダン型のクラウンコンフォートだった。
そのセダンよりも家庭用ワゴンのようなジャパンタクシーのほうが車両価格が高いため、地方のハイタク業者は買えずにいるし、コンフォートの中古車両を買って代替している。
コロナ禍に、この車両コストの上昇が、零細ハイタク業者の経営を圧迫している、そんな利点ではなく欠点はある。(なぜ地方のタクシー事業者の倒産が続いているのか – 道中の点検)
「利点」というか、ジャパンタクシーが開発され導入された目的はユニバーサルデザイン、タクシーのUD化にあった。2020年東京オリンピック・パラリンピックを機に「おもてなし」の一環として一気にタクシーもUD化を進めてきた。
「いつでも、どこでも、誰でも乗れる」ということから国や自治体が税金を注ぎ込み、トヨタ自動車独占と言われようと、UD化を推し進めてきた。
「あの車種」にすることは、利点というよりも正義だったのだ。
あの車種のタクシーに乗って、降りるのに苦労させられることが、すごく増えたのである。
ユニバーサルデザインになって車高は低くなった。乗りやすく使いやすくなってるはずだ。「移動で人を幸せに」できるはずだった。
にもかかわらず、お客様もそしてボクたちも苦労している。
UDタクシーであるはずなのに、車椅子ごとご乗車いただけるはずなのに、利用者への乗車拒否が頻発するという問題が起きている。本末転倒、「あの車種のタクシーになって」、なぜだか不幸な話を聞くことが増えた。
乗車拒否され、スライドドアのために「ドアを開くスペースがいらないせいか、ガードレールの途切れていない場所で停車されちゃう」ような苦労をする。これがタクシー業界の目指してきたUDタクシーの姿なのだろうか?
お客様だけではない。ボクたちも、雨の日も雪の日も、台風の中でさえ、乗降スロープを設置し、そして笑顔で(内心は「こんな日に外出しないでくれよ」と思いながら)「ご乗車ありがとうございます」と言う。
何かが間違っているように思う。
タクシー業界は外装だけピカピカに新しくしたのだけれど、内部は相変わらず古いままだ。賃金は相変わらず不透明な歩合給で、不当な乗務員負担を強いるような、古いシステムのままだ。
そして、ボクたちにエッセンシャルワーカーなんて新しい呼称を与え、逃げ場も行き場も失くしてしまっている。(傲慢にも)国の名前を冠した「ジャパンタクシー」という名称を付け、その日本という名のもとに、公共交通、移動のリーダーを強要し、幸せを奪っているのではないのか?
誰か、幸せになりましたか?
タクシー業界は、いえ、モビリティ産業は、デジタルを通して(移動を通して儲かることの)百花繚乱という風景になっています。
でもね、その移動という思想に「人の幸せ」という思いはありますか?モノを生産するような感覚で、移動というものを考えて、ロボットのようにボクたちを動かす、そんな感覚で設計をしていないですか?(UIとかUXとかDXとかMaaSとか、得意の横文字で誤魔化しながら…)
UDタクシーになって、アプリ配車になり、事前確定運賃、相乗りタクシー……、で、どうしてお客様もボクたちも苦労し、幸せから遠のいているのですか?どうしてボクたちは相変わらず貧しいのですか?そして悪者にされるのですか?
幸せはタクシー車両次第、幸せはタクシー会社次第、そして実は幸せはタクシー政策次第ではないですか?
タクシー運転手の幸せはあまり考えてないってのが、今の業界ではないですか。そんな業界に誰が来ますか?