大窪寺、結願(43日目の2)

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女体山を下ると自動車道に出る。階段を降りるのだけれど、そこを西へ矢筈山の方へ行き道に迷う人がいるということだった。その「お知らせ」の貼紙が山頂に貼られていた。迷った当の本人が貼紙を作りそこに掲示していた。ご本人が来られて貼ったのかどうかは分からなかったのだけれど、きっとそうしたのだろうと思った。

女体山山頂の道迷いのお知らせ
(女体山山頂の道迷いのお知らせ「ここで道に迷われる方が沢山おります、私もこの階段を降り、西の矢筈山のほうへ行き迷いました」)

四国らしいというか、とてもありがたい「お接待」だった。普通はそこまでしないと思う。自分が道迷いしたからと言って、わざわざもう一度迷った地点にやって来て、次の人たちのために注意書きを残す。「茨木市 ○○」と書いていたので、四国の人ではないのだ。

迷いそうにない場所でも人は迷う。例えばその日の朝のボクがそうだった。簡単に反対方向に進んでしまう。睡眠不足や疲労が方向感覚を鈍らせる。道迷いだけではなくて、事故もそうやって起きる。結願ということで前しか見えなくなる場合もあるだろう。気持ちが焦ってしまうこともあるだろう。そう思った。

自動車道に出てそしてまた山道に入った。もう下りだ。少し行って番外霊場、八十八番奥之院胎蔵峰への道が分かれている。右折してその道へ入った。200メートルほどの距離にあった。9時00分到着。誰もいない、そして風の音と木々を揺らす音しか聞こえなかった。

最後のくだり、直下に大窪寺
(最後のくだり、直下に大窪寺)

この高度感。落ちる、あるいは産まれるという感じ。そういう順番を歩くことになる。女体山、胎蔵峰、大窪寺なのだから。死に、そして生まれ変わる。

9時20分出発。打ち戻って、今度は一気に300メートルを大窪寺まで下ることになる。階段が敷設されていた。直下に八十八番大窪寺が見えた。感動し興奮した。なにかを完遂したという感覚ではなくて、やっと辿り着いたという安堵感のようなものだった。

そこは確かに結願寺ではあったのだけれど、終点ではなかった。そういうこともあってか、寺の境内に降り立った時には何か出発する時のような気持ち、少し緊張して喉が渇いて、そして鼓動が早くなるような感じだった。

9時40分着。
広い境内だった。本堂に行き、そして離れた大師堂に行った。金剛杖が奉納され「宝杖堂」(ほうじょうどう)には数千本、いやもっとかもしれない金剛杖が並んでいた。ボクは奉納しなかった。まだ高野山があった。そこまでは同行二人だろうと考えていた。

「万感胸に迫るものがある」と言われるようなものはなかった。女体山山頂や、胎蔵峰からの下りのほうがその感覚があった。たどり着いたら、次のことを考え始めた。高野山、その前に一番札所霊山寺へのお礼参りがあった。

終わりではなかった。
「人生即遍路、そして、人生なお即遍路」と日記に書いた。多くの遍路も、そういった気持ちを持つのだろうと思った。そしてまた始めるのだろうと思った。それが遍路なのだろうと考えていた。

宝杖堂に納められて多数の金剛杖
(宝杖堂に納められて多数の金剛杖)

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