女体山、母なる山で(43日目の1)

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道の駅ながお、売店裏の軒下、最後の日のねぐらで5時少し過ぎに目がさめた。朝の気配はしていなかった。山間は海辺よりも朝が遅いようにも感じていた。日の出や日照時間というよりも、なにかゆっくりとした始まりをいつも感じていた。

トイレに行き、洗顔をした。そして自動販売機でココアを買った。昨夜遅くに着いた遍路であろう人のテントもまだ夜の中にあった。ココアを飲むと、パッキングを始めた。43回目のパッキングだった。ザックのハーネスもくたびれていた。道具だけではなくて、ボクもくたびれていた。こけた頬は精悍というよりも、くたびれた顔だった。白衣は純白ではなくて、背中や肩のあたりは汗で汚れていたし、ザックの色も移っていた。金剛杖は12センチ減っていた。何もかもが43日という時間の中で変化をしていた。

6時00分出発した。まだあたりは暗かった。ヘッドライトを持っての出発だった。少し興奮していた。県道3号線を左折して遍路道に入った。少し行った三叉路を、どうしてなのか分からないのだけれど、左折してしまった。その方向が正しいように感じたからだ。途中、民家がある辺り行き止まりになり、間違いに気が付いた。まだあたりは暗かった。三叉路まで戻った。

道標が見えなかったことが迷う原因になった。今度は道標を確認して右へ折れた。少しずつ空が明るくなっていた。来栖神社のところを通るルート。川沿いを高度を上げていった。遍路転がし、おそら斜度で言うとここが一番キツイのではないかと感じた。それでも結願ということがそれを麻痺させる。

「笑顔スマイル」という遍路札が木に掛けられていた
(「笑顔スマイル」という遍路札が木に掛けられていた。笑えなかった)

太郎兵衛館の分岐から少し車道を歩き、それから女体山に向けてさらに厳しい登りになった。標高は500メートルを越えていた。風も強くなっていた。気温が上がらない。それどころか休憩していると寒くなった。脱いだり着たりを繰り返していた。やっぱりこの登りが一番キツイと考えていた。平成へんろ石72番から同じく67番、そして山頂まで一気に300メートルを登ってゆく。頂上直下では攀じるという場所もあり、遍路というよりも登山になった。

2時間30分で女体山山頂に着く。女体宮があり、そして休憩所がある。その休憩所でチョコチップパンの朝食を摂った。眼下には讃岐平野が広がっていた。通ってきた場所が一望できた。昨日、一昨日の出来事だった。それでも遠い昔のことのように感じていた。

たぶん、ここでほとんどの遍路は泣くのだろうと思った。それほど厳しい登り、そして、それほど遥かな道程だった。吹きさらす風が想い出を蘇らせてくれた。餓え乾き、そして眠れぬ夜を過ごし、疲労もピークに達していた。疲れが感情を激しく揺らした。そこがピークだった。あと少し下って行けば八十八番札所、結願寺だった。そしてボクも泣いていた。

女体山、母なる山で生まれ変わる。擬死再生。ボクは胎蔵峰を目指して歩き始めた。もうそこだった。

女体山から見える讃岐平野
(女体山から見える讃岐平野)

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