ほの国百貨店閉店で考えたこと
ほの国百貨店が閉店した。
「もとの丸栄」というのが多くの豊橋市民の持つイメージだったのだろうし、丸栄が閉店したときに、あの場所の、あの百貨店の、記憶や、想い出は、なくなった、そう言う人も多い。
10年前に書いたこと・・・(なつかしい)
買い物は確かにネットでも済ませることが出来る。値段だけならスーパーのほうが安い。物を買うということだけをとれば、デパートの存在意義は薄くなっているのかもしれない。でも、以上書いたようにデパートの消滅はその地域の文化の喪失にも繋がることなのだ。だから、豊橋マルエイが閉店なんてことになるとちょっと困る、と思うのだ。きっと。
豊橋マルエイが閉店してはいけない理由
ちょっと困ったことになる、そう思ったんだが、そのすぐあとに「ほの国百貨店」として開店した。
若者は百貨店を離れてゆく。というか、すでに離れてしまっている。子どもころ、八階のレストランでご飯を食べて、そうして屋上の遊技場で遊ぶ、なんてことがとっても楽しみだった。そんなボクたちがおとなになって百貨店に行くと、あの頃のトキメキやワクワク感なんてものをまったく感じることが出来ないでいる。
モノを選んで買うだけならば、ネットに勝てるわけがない。ネットは万貨店なのだ。もし生き残れるとしたら、たぶん、あの頃ボクたちが感じたwktkを感じさせられるかだと思うのだけれど。
ほの国百貨店で考えたこと
「あの頃ボクたちが感じたwktkを感じさせられる」ことが出来なかったのだろうと思う。8年経った今でもやっぱり「もとの丸栄」のままだったのだろうし・・・。
ほの国百貨店が閉店した昨日はずいぶんと賑わったらしい。今朝は、なんとなく廃墟を感じさせた。「荒城の月」が頭の中で聞こえた。栄枯盛衰。
あの場所は永遠に消え去ることもなく、きっと何かのカタチとして残る。想い出として心に残る。
ほの国百貨店の全身、豊橋丸栄だった頃。2011年1月31日、雪の日。