感染隠し

感染隠しが始まる。としても、そんなに驚くことでもない。

わずか18キロメートルの隣街でCOVID-19感染者が出た、というニュースには驚かなかったんだけれど、そのうちの1人が「ウイルスをばらまいてやる」という、ウイルステロを行ったというニュースを聞いた時には、少し驚きながら「やっぱりな」なんて納得もした。そうして考えさせられた。

だって、そういうことも想定できたことだし、罹患者の外出を禁止する法的拘束力もないんだし、起きうる事件だったわけで、なにもマスコミが大騒ぎすることでもなくて、彼ら/彼女らが報道しなければならない本当の恐怖は別にあると思うんだ。

本当に怖いのは感染を隠すこと

本当に怖いこととは、感染したということを隠して仕事をしたり、症状が出ているのに無理して普通に生活をすることなのだ。蒲郡のテロ男より怖いのは、そういった感染隠し、隠れ罹患者、なのだ。

そうしてその感染隠しの人物が、例えば飲食店経営者で「休むわけにはいかない」なんて理由で営業を続けたり、サラリーマンが「プロジェクトが遅れるんで」とか「上司に何言われるかわからんので」なんて理由で、満員のバスや電車で普通に通勤する、そのほうが、怖い。

なによりも怖いのは、感染隠しやテロを生む要因である、致死率3%の病気を不治の病のように不安を煽ってしまっている今のこの国の報道や政府の発表の在り方なんだろう。触ったら死ぬ病気なのか?話しただけで隔離されなきゃいけない病気なのか?

そして次に起こるのは患者差別、隔離

ボクたちは、そのテロ男を責める前に、そうなってしまっている国の環境(それは法律や報道やマスク製造や流通なんてものを含めて)を自省しながら、そんなことも想定できなかったおめでたい危機管理能力や、BCP(事業継続計画)の在り方を自省することのほうが重要なことなのだ。

「今さら何騒いでんだよ〜」ということだ。不安を煽り、騒げば騒ぐほど景気は悪くなる。そうして倒産する企業や商店、飲食店も増える。そんな不幸の伝染、連鎖が最も怖いことなのだ。

早くボクたちが安心する薬や治療法を教えてほしい。もっとボクたちが安心して暮らせるシステムを構築してほしい。そう思っている。

もう少し話すと、本当は、COVID-19よりは、昨日釈放された槙原敬之が使っていた覚せい剤のほうが、怖いんじゃないのか。そして何度逮捕されても使ってしまう。そのほうが、蒲郡のテロリストより、怖いんじゃないのかと思っているんだ。

新型コロナ: 「コロナばらまく」感染男性が死亡 愛知・蒲郡: 日本経済新聞

蒲郡市などによると、男性は3月4日に陽性と判定された。自宅待機を求められていたが、同日夜に市内の飲食店2店舗を訪れた。このうち1店舗の従業員が男性の発言を知り、保健所に連絡。店が営業自粛を余儀なくされ、30代の女性従業員の感染も判明した。店の経営者は13日に県警に被害届を出した。

らくだ(ウイルス男の死)らくだが死んだ。 「えっ、らくだが死んだ。おい、おばあさん、らくだが死んだとよ。昨夜。ハハハハハ。どうして死んだんだ。ふぐで、ふぐだとよ。ああ、アハハハハ、死んだかい、そう…
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らくだ(ウイルス男の死)

ウイルスばらまき男のニュース 感染隠し

5件のコメント

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    関係者さん、どうも。
    まあ、どちらも、自分の思想を世に問うことを使命としているのでしょうが、今回の比較でいえば、なんとなくどちらも酔っ払いって感じもしますね;)

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    確かにテロリストよりアーティストのほうが伝染力は強そうですね。

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    千葉58さん、どうも。

    このブログを始めた2006年の前、2004年にも来ていて、その頃のことを「期間工物語」として少し書いているのですが、その頃からボクの人生もですが、世の中も変わっていったように感じています。やっぱり2000年頃からボクの周りも変わっていったようにも感じています。

    「あの頃の切迫感」そうですね、あれほどの若者の切迫感でもあったと思っています。

    ボクもなんですが、あの頃の多くの非正規の「次の展開」は、働き方改革関連法の施行で年休や均等待遇なんてボクたちが望んでいたものを獲得しようとしていますが、幸せになったか、というとそうでもないような。

    ボク個人は、あと数年したら、社会と別離したいとは思っているんですが・・・。

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    田原さんがトヨタ期間従業員を始めたころ、
    私も仕事に恵まれておらず、当時から共感をもってこの記事を読ませてもらっていました。
    離婚や失業で2000年ころから厳しい生活でした。
    とりあえずの仕事は、樹木伐採や電気工事などの日雇い危険作業とビルメンの低賃金労働。
    。どういう人生になるのか自分でも見当のつかない日々。明日が見えない生活。

    田原さんがどういうふうに生きていくのか、自分に重ね合わせて注目していました。
    記事をあらためて見直してみると、
    トヨタ期間工の時期は2006年から2008年間での2年間だったというのがわかって、
    ずいぶんと短い期間だったということをあらためて知る。
    このころの記事の切迫感がサイトの焦点だと思います。

    その後、田原さんが失業を経てタクドラになった記事を目にし、
    田原さんは果たしてタクドラに向いている性格なのか、心配してました。
    いまやトヨタ期間工の時期よりもタクドラの勤務期間のほうが長くなって
    生活が充実安定しているように思います。
    次の展開を催促してはいけませんね。

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    お元気そうで安心しました。
    マスク無しで満員通勤電車に乗っています。危機が迫っているのに、成り行き任せ。
    時代が不安や不幸に慣れきってしまったのかと思う。

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