極楽浄土への路銀(39日目の2)

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10時30分に観音寺を出発したボクは財田川沿いの遍路道を歩いて七十番札所本山寺に向かっていた。途中、年配のご婦人に声をかけていただいた。そして並んで川沿いの道を歩きながら、遍路のことや観音寺の昔のことなどを聞いた。

するとその女性が「今は結婚して豊田市に住んでいるんですよ」と言った。それからまたボクも豊田にいたこと、愛知に住んでいたという話になった。約30分ほどの間だったのだけれどなんだか縁のようなものを感じた。たまたま帰省していた女性と、たまたまそこを通っていた遍路に共通点がある、ということはさして珍しくもないのだろうけれど、ボクたちにとってはもうないことかもしれないと考えていた。

稲積橋のもうひとつ先の橋を越えたところに「かなくま餅福田屋」の看板が見えた。10時30分、ボクはその店に行くことをその女性に告げて別れた。白藤大師堂の遍路日記にも書いていたのだけれど、観音寺の観光案内にもその店を紹介していた。

餅の入ったかなくも餅うど
(かなくま餅福田屋 かなくも餅うどん)

餅屋なのかうどん屋なのか、と思いながら暖簾をくぐった。噂の餅入りうどんを注文した。味噌と醤油があるということだったのだけれど…、醤油を頼んだ。410円。そして盛り寿司も頼んだ。それは180円だった。美味しかった。四国に来て、初めてのうどんだった。どうしてこうもうどんと縁がなかったのだろうかと考えた。讃岐、香川以外の四国三県はうどん屋がすくないのかもしれないと思った。

ボクが食べていると高知の区切り遍路の男性が入ってきた。そしてボクの前に座った。少し話をした。彼も膝を痛めているようだったので、荷物の重さと膝のことなんかを話した。

彼の注文が来て、少し過ぎてボクは立ち上がった。「じゃあ、また」と挨拶をしてからレジに向かった。あんこ入りの餅を2つ注文した。そしたらお接待です、とお金を受け取らなかった。11時30分だった。

12時00分七十番札所本山寺に到着。ここで六文銭のお守りを買った。六文銭は極楽浄土への路銀として棺桶に入れ、三途の川の渡し賃にすると言われている。また長寿や魔除けに霊験があると言われている。

12時20分、その六文銭のお守りをザックに入れてから出発した。七十一番札所弥谷寺(いやだにじ)まで11キロほどの道のりだった。順路を取らずに67番、70番、68番69番、そして71番と打ったほうが3キロほど短いそうだ。

国道11号線を通った。郵便局に行きたかった。交通量の多い場所でどうも歩きにくかった。途中高瀬町内の郵便局でお金を下ろした。それからその先を左折して県道221号線の遍路道に入った。旧三野町の自動車道から遍路道になる登坂のところで、昨日会った外国人バックパッカーに追い抜かれた。ひとりだった。おじさん遍路と雲辺寺を下っていったのだけれど、きっと同じホテルに泊まったとしても出発時間が違ったのだろうと考えた。

その辺りから弥谷寺の380段の階段と、登りの道は辛いものがあった。15時20分、3時間かけて到着。嫌な時間、その日は曼荼羅寺、出釈迦寺と打ち終えて、出来れば甲山寺を打って善通寺周辺でねぐらを探したいと思っていた。

ねぐらというか、ホテルに泊まる気満々だった。ゴールが見えてきた安心感のようなものが、さらに安心感を求めていたのだろう。それにこれから続く市街地を前に、身体や白衣を洗いたかった。

弥谷寺に収められたお札
(弥谷寺に収められたお札)

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