雲辺寺で菩薩に逢う(38日目の2)

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12時に佐野道ルート、国道192号線から徳島自動車道の高速高架下にいた。それからその急な登りを終えて六十六番札所雲辺寺に着いたのは14時だった。2時間の登り。標高差400メートル、距離2キロ。とうとう涅槃の道場、最後のステージへとやって来たという事実が疲労とともにハッキリしたものになった。

雲辺寺は標高910メートルの高所にある。焼山寺標高700メートル、太龍寺520メートル、鶴林寺500メートル、岩屋寺670メートル、大宝寺560メートル、横峰寺745メートル、それらの札所よりも高いところにある。というよりも、四国八十八か所の札所の中で一番高いところにある。

雲辺寺の香台、種火。風が強いので蓋がある。
(雲辺寺の香台、種火。風が強いので蓋があるのだろう)

風が強く吹いていた。急登で汗ばんだ身体が冷えてきた。と見ると、三角寺で話したおじさん遍路と外国人バックパッカーがいた。ふたりは前の晩、伊予三島の同じビジネスホテルに宿泊していたということだった。20分、いや30分、ボクより早く着いていたのだろう。どのルートを通って来たのかは訊かなかった。それでも「疲れたねえ」とおじさんが言っていた。そして「先に行ってるよ」と前後になって歩いて行った。

身支度をして本堂、大師堂と納経をした。納経所に行って驚いたことがあった。驚いたというか、そこのお姉さんがとても美人だったのだ。山奥の、辺鄙な寺で、納経所に座って墨書朱印を押しているその女性を不思議に思った。そこが彼女の居場所ではなくて、例えば本堂、千手観音菩薩の隣に座って、託宣をその口から告げることが彼女に相応しいのではないかと考えていた。「菩薩がそこにいた」と日記には書いている。

その菩薩、いや、きっと寺のお嫁さんか、娘さんなのだろう人にお礼を言ってから、出発した。14時30分だった。休憩所のところで昼食を食べた。昨日買っておいたチョコチップパンがメニューだった。15時前だったのだけれど、山はすでに夕暮れの匂いがしていた。

山を越す。今度は標高900メートルから100メートルへ一気に下降してゆく。逆打ちのほうが辛いルートだろうと思った。そしたら戸川公園で同宿した青年遍路のことを思い出した。ここを雨の中登ったと思うと、疲れてコンビニどころじゃないなあ、と考えた。途中にコンビにもなかったので、食べることもままならなかったのではないかと思った。逆打ちのほうが巡りにくいように感じた。そういうふうに出来ているのだろうと思った。

遍路道は稜線上を緩やかに上り、そして下っていた。1キロほど行ったところから左折する。急坂、落葉の絨毯の上を滑りながら歩いた。県道240線には16時少し前に着いた。それから県道を歩くと民宿青空があった。そこに泊まろうかと考えた。山越えで疲れていた。それにねぐらを探すことが億劫になっていた。

立ち止まって考えていた。そして「無料宿泊所一覧」を見た。この先に白藤大師堂というのがあることは分かっていたのだけれど、確認した。もうそこしか考えられなかった。というか、大師堂がダメなら戻ってきて民宿に泊まろうと考えていた。

16時20分、白藤大師堂到着。少し休憩していると、おばあさんがやって来て「ここにお泊りになられますか」と声をかけていただいた。「ええ、お願いしようと思っています」と答えた。そして大師堂を管理しているお宅の場所を教えていただいた。ボクは礼を言って、そのお宅へと向かった。

そして許可を頂くと、また大師堂に戻り、通夜堂へ上がり、荷物を下ろした。12畳の部屋には電気ストーブがあった。布団もあった。何よりも電気があったということが気持ちを落ち着かせた。

ガラスのビンの中にろうそく
(雲辺寺にて ガラスの瓶の中の灯明)

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