銀杏ちりしく(31日目の2)

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44番札所大宝寺に14時10分到着。黄色い海、銀杏の葉が敷き詰められていた。檀家さんだろう女性ふたり、その海を櫓を漕ぐように箒を左右に動かし前へと進んでいた。確かに海のようだった。内子からの山の旅がそう思わせたに違いない。久万高原は秋を通り越して冬という装いだった。昨日までの雨雲は標高800メートルの鴇田峠からは雪雲に変わっていた。久万の町も標高500メートルの高原に位置する。

山頭火の句碑があった。

「朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく」

十一月二十日 晴、好晴、行程六里、久万町、札所下、とみや。

五日ぶりの宿、五日ぶりの風呂!(よい宿のよい風呂)

街まで出かけて、ちゃんぽんで二杯ひっかけた、甘露々々、そして極楽々々(宿へは米五合銭三十銭渡して安心)。

種田山頭火 四国遍路日記

この日が18日、山頭火と2日違いだ。ボクはといえば、宇和島から宿も風呂もなく、四国へ来てから「ひっかける」こともなかった。「銀杏ちりしく」、同じような風景を見ていたのだろうと思うと感慨深かった。

空はみぞれまじりになった。いっぱいひっかけてそのまま宿に、そう思いながら少しベンチで休んでいた。

44番札所大宝寺にて 落葉を掃除する檀家さんだろう女性ふたり
(44番札所大宝寺にて 久万高原はもう冬でした)

わずかな距離が風景を一変させる。晩秋の風景は真冬のものへと変わる。みぞれは降り止んだのだけれど、雲は低く稜線をのみ込んでいた。 14時40分出発、遍路道を通り峠御堂隧道の先に出るルートだ。

これが急登だった。一気に715メートルの峠を越え、そして下る。それから県道を歩くことになる。道路情報版の温度計が2度と点灯していた。凍結注意と出ていた。16時。ねぐらのことを考えた。このままだと氷点下になる。 古岩屋荘の前で16時20分を少し過ぎた。そのことが気持ちを焦らせた。17時に間に合うだろうかと考えたら、歩く速度が早くなってゆく。その先を遍路道に入る。県道を通ればよかったと後悔する。ここで納経の時間に間に合わなければ、明日朝また往復しなければならない。

前日は郵便局に間に合うように走った。今日もやっぱり17時という時間に縛られた。

人は常になにかに拘束される。呪縛される。

駐車場からの階段はかけ上った。清滝寺を思い出した。あの時に、あの坂をかけ上って膝を痛めたのだ。何人かのお遍路さんにすれ違った。挨拶も出来ないぐらいに息があがっていた。鐘の音が聞こえた。ひとつ。そして着いた。そのまま納経所に行って「すみません、先にお願いします」と墨書、朱印を押してもらった。 そして本堂に向かった。汗が流れた。お経も途切れ途切れになった。

大師堂に行く頃には少し落ち着いていた。それでも苦しかった。 納経が終わると、また来た道を戻っていった。なぜだか虚しかった。。悔恨と悲嘆は同時にやってくる。17時30分、四十五札所岩屋寺を後にした。 ねぐらを探さなければならなかった。すでに夜になっていた。岩屋寺前のバス停は寝るには良さそうな場所だった。しかしバスを待っている人がいた。それに来る時に何箇所か見つけておいたのでそのまま通り過ぎた。18時国民宿舎古岩屋荘着。とにかく何か食べたかった。そして温泉に入ろうと思っていた。それから考えることにした。

45番札所岩屋寺にて ロウソク静かに2本
(45番札所岩屋寺にて)

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