津呂善根宿で考えたこと(23日目の2)

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以布利の海岸を出発したのは13時ちょうどだった。「13時になったら出発しよう」と言い聞かせてから座っていたから。ズルズルと時間を浪費するのが怖かったのだけれど、逆に、タイトに時間を管理してしまう傾向にある。それはほとんどの人に言えることなのだろうと、思っていた。プロたちを除けば、ということなんだけれど。停滞すること、そこで思索すること、は、大切だと考えていたのだけれど…。

以布利遍路道入り口にて 聖書、仏壇、貨カバンの看板

(混沌…以布利遍路道入り口にて 金剛福寺まで13キロ)

14時 窪津、足摺まで10キロを切ると「今日中に行けるかも」なんて考えてしまう。3時間の距離、17時には着く…。しかし14時30分、窪津小学校前で休憩した。その時点で足摺は諦めていた。どこに泊まるかということを考え始めていた。足摺までの道沿いにはペンションサライがあった。地図を見て、一瞬迷った。迷うというか、布団の感触が背中に蘇る。風呂の温かさや、なによりも安心して眠れることのできることに対しての欲望が湧き起こる。
15時、出発。足摺まであと7キロほどの距離、トイレに行きたくなった。トイレがない。山道…、あ、紙がない…。我慢した。は~。

15時40分、津呂の善根宿着。カーブを曲がって、その宿が見えた時に、「いったいこれはなんあんだろうか」というのが第一印象だった。その宿に入る。誰もいない。「すみません」と声を出すと、上の小屋(風呂のあるところ)で声がした。「あ、こんにちは」。

「こんにちは」とボクは答えた。そして「今日、泊めていただきたいのですが」と言った。その人は「ああ、どうぞどうぞ」と答えた。

「トイレ、お借りしてもいいですか」と言った。ボクはもう目の前にあったトイレのドアノブに手を掛けていた。「どうぞ」…。

それから宿に入った。しばらくすると、さっき話した男性が来て、ドラム缶の暖炉に火を入れてくれた。歩いて来たばかりだったのでそれほど寒くはなかったのだけれど、気温は下がっているようだった。しばらくして宿のオーナーであるKさんがやって来た。そして「洗濯物があるのならこの洗濯機を使って。それからここに干せばいいから」と話して下さった。ボクは「使わせていただきます」と言った。そうしたら「洗剤はこれを使うと良いよ」と…。ありがたかった。

Kさんはそのままご自宅のほうへ行かれた。ボクは洗濯をして、それから干した。雨で湿気ていたテントも干した。そうしたら少し寒くなった。暖炉がありがたかった。それからまたKさんがやって来て「夕ご飯は?」と訊いてきたので「えっと、一応食糧は持ってます」と答えた。

「あれだったら食べる?500円だけれど?」
「あ、いただけるのなら」
「ああ、ごちそうはないけれど。それなら準備するから、出来たら呼びに来るよ」と、また帰られた。

風呂もあるようだった。食事もある。綺麗ではないけれど、屋根があって畳がある。そのことが贅沢に思えた。足摺までの道は、文字通り足を引き摺りながらの道程だった。三十七番札所岩本寺から80キロ、5日かかっていた。身体もだけれど、気持ちも疲れ切っていた。何かの拍子に崩れそうだった。

ボクはドラム缶でできた暖炉の炎を見つめていた。そして考えていた。「何も海外の発展途上国に行かなくても、遍路をすれば豊かさを感じ取れる。この国にいてカルチャーショックを感じ取れる。歩いたり、野宿したり、痛んだり、泣いたり、わめいたり、出来ればの話だけれど」ということを考えていた。インドよりもリアルだ、と思った。

500円がその善根宿の宿泊料だった。その日は貸し切りのようだった。そしてまた夜が足もとにスルリと忍び寄っていた。

 

津呂善根宿にて 入口から中の様子

(津呂善根宿にて)

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