雪渓寺そして種間寺へ(15日目の2)

雪蹊寺、そして種間寺、清瀧寺まで、そう考えていた。

高知県営フェリー種崎渡船場に10時15分に着いたボクは次の11時10分の出発を待っていた。待合室はきっと遍路が宿泊したりするのかもしれないと思った。テレビもあったので、ここで日ながらゴロゴロしていても良いかなあ、なんて思ってもいた。

前に進むことばかりを考えていた。約束もなければ早く進まなければならないことも、まして競争しているわけでもなかったのに、なぜだか時間と縁を切ることが出来なかった。計画を立ててしまう。

灯明台に一本だけのロウソク
(32番札所禅師峰寺にて)

禅師峰寺 – Wikipedia

長浜から種崎へ

待合室で少し早いお昼ご飯を食べた。朝、サンクスで買ったゲンコツおむすび(鮭・昆布)とニッスイジャンボソーセージがメニューだった。そのあと少しウトウトしてしまう。暖かい日だった。11時前に大阪から来たというお姉さんふたり連れがやって来た。少しだけ話す。区切り打ちでまわっているその女性ふたりは、室戸までは電車とバスを乗り継いできたそうだ。そして杖を持っていないことを「そうよね、普通は杖から揃えるんでしょ」なんて言った。「セットでまとめて揃えましたから」と答えた。

船は11時10分、定刻に出発した。そして5分後の11時15分に対岸の長浜渡船場に着いた。歩き遍路が4人、ボクと女性ふたり、そして60歳前の男性の方がいた。ボクたちは沈黙していた。瀬戸大橋や海上、空や雲を見ていた。

到着後、女性ふたりが先頭になって歩き始めた。そしておじさん、しんがりがボク。女性たちはかなり健脚だった。荷物も軽そうだったけれど、それよりも歩くということに慣れているように思えた。おじさんも、すこし足を庇っていたけれど、力強く歩いていた。ボクも、つられて少し早くなった。その順番で三十三番札所雪渓寺に到着。11時40分だった。

雪蹊寺にて

その女性たちからバナナを頂いた。彼女たちも、そしておじさんも、弁当を食べ始めた。「民宿で作ってもらった」と言った。「多いからバナナは無理だから」とも言った。ボクはお礼を言って、それから少し休憩して12時10分に出発した。

先頭になるのはあまり好きではない。後が気になる。その気持ちが足を速めた。休憩も取らずに、13時30分、三十四番札所種間寺に到着。足の豆が痛かった。右足の親指と人差し指の付け根の間に豆が出来ていた。両足の踵の豆は治らずに範囲を広げていた。急ぐと豆ができる。

少しすると女性ふたりが山門をくぐってきた。

雪蹊寺からの遍路道に、咲き、散る、コスモス

(雪渓寺から種間寺への遍路道にて)

そう言えば、まだコスモスの季節だったね。

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