遍路道のすがた(14日目の1)

7時30分29番札所国分寺着。朝のお寺は静かだった。

納経をすませて山門へ向かおうとしていると、高知工科大学の生徒に呼び止められた。そしてGPSを渡される。次の善楽寺まで持って歩いてほしいとのことだった。了解して、そのGPSをザックに入れた。そして出発。8時を少し過ぎていた。

29番札所国分寺にて 祈願札 遍路道のすがた
(29番札所国分寺にて 祈願札?)

途中蒲原へんろ小屋で休憩。ピーナッツを食べる。お腹が空いていた。そう言えば昨日の朝におにぎりを食べてから、米を食べていなかった。「シャリバテ」という言葉があるけれど、そういう状態なのかと思った。

しかし、国分寺から善楽寺までの遍路道にはコンビニも食堂もなかった。途中蒲原へんろ小屋の手前にスーパーがあったのだけれど、まだ開店前だった。遍路道から少し離れると、何軒かコンビニがあったのだけれど、その「少し」が徒歩だと20分とか30分になってくる。車だと数十キロを移動できる距離なのだけれど。

善楽寺に着いたのは10時少し前だった。蒲原から逢坂峠は長く感じた。

善楽寺は土佐神社の中にある。と言ったほうが良いような配置だったし、寺の山門を出ると神社の参道だし、遍路道もその参道を通り鳥居をくぐらなければならなかった。

日本の宗教は複雑だ。この善楽寺も土佐神社の別当寺として建立された。「別当寺とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺のこと」(『ウィキペディア(Wikipedia)』)で、神仏習合が明治政府によって禁止された神仏分離令によって禁止されるまでは神と仏は調和融合していたのだから、この土佐神社と善楽寺のような位置関係も多く存在している。

神社の中を通るとしても、その神社に参拝しない遍路も多いのではないかと思う。ボクもそのひとりだったし、それは完全な仏教徒だからとか、あるいは遍路という立場だから、なんてことではないのだけれど。少しの違和感はあった。それは神社の中を通る時だけではなくて、例えば遍路姿でファミレスで食事をする時も感じたのだけれど、自分の立場、宗教的な立場という意識のものなのだろうと思ったのだけれど…。

善楽寺では高知工科大学の先生と生徒数人が待っていた。GPS渡す。そしてそのデータを元にアンケートに答えた。分かりにくかったポイントや、遍路道の状況、あるいは改善すべきこと、なんてことを答えた。

遍路道のすがた

遍路道は、道標があり、地図がなくても巡拝できる。その便利さは、逆に「進路を住民や道人に尋ね、その情けにすがりながら札所を巡るのが本来の姿」(へんろみち保存協会)を失うことにもなりはしないかと思った。そしてそのことを話した。

遍路ナビなんてものが出来て、最短距離で巡礼できるようになるのかもしれない。今もすでに、地図が精密詳細になって、携帯電話でのナビを利用している人もいるのだけれど。

今後、どう発展させるのだろうか。あるいは発展させないで、どこかの時点での風景を保存するのだろうか、と思っていた。空海の頃よりは随分と変わってしまったのだろうが、あるいはほとんど変わっていないところもあるのだろうが、歩きやすさばかりを求めると、遍路ということじたいを変えてしまうのではないかと思っている。

ボクは、この先、高知市内で道に迷い、そして情けにすがって、ユリさんの実家に辿りつくことになるのだけれど…。

ヘンロ小屋 蒲原の外見 遍路道
(ヘンロ小屋 蒲原)

ヘンロ小屋 第5号 蒲 原(かもはら)

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