御厨人窟、室戸(11日目の2)
御厨人窟は弘法大師空海の修行の地だ。
かれが室戸の先端にせまり、ついに最御崎の岩盤に立ったときには、もはや天空にいる思いがしたであろう。(…)この巌頭に立てば風は岩肌をえぐるようにして吹き、それからのがれるためには後方の亜熱帯性の樹林の中に入りこみ、樹々にすがり、岩陰に身を隠さねばならない。やがて空海は風雨から身をまもるための洞窟を発見するにいたった。(…)空海がこの洞窟をみつけたとき、「何者かが、自分を手厚くもてないしている」という実感があったのではないか。
(「空海の風景」司馬遼太郎著 中央公論新社より引用)
御厨人窟の中で納経
その室戸にはもうすぐだった。穏やかな天気だった。御厨人窟で修行した当時の弘法大師空海の青年像が見えた。高さ10メートル以上はあるだろう白いその像は「鉄さび色の大岩盤」を背景に浮き上がっていた。
ボクは、久しぶりの室戸を懐かしく感じていた。記憶は正確にボクの脳の中に収まっていたし、その場所は容易に特定することが出来た。そして、重ね合わせた。それから、御厨人窟の中で納経をした。早朝の聖地にボクひとりだった。洞窟の中にはボクの声が響いた。
感動、何に対してなのか、ということは、その瞬間には分からなかった。ただ、涙が流れた。睡眠不足や疲労は感情を涙にかえることで、慰められるのかもしれない。四国を歩いている間、常に感情はギリギリのところまで張り詰めていた。それは肉体とて同じことで、平衡感覚を保つために、緊張を強いられているようにも思った。その糸は切れないまでも、かなり高い音程で脊髄から脳に刺激を与えているように感じていた。
ボクは御厨人窟を出て、そして海岸線にある遊歩道を進んだ。その頃、弘法大師空海の頃と今とは、ほとんど変化がないのだろうと思った。四国にはそういう場所が多いと思う。変化がない場所が普通に存在する。そのことがボクたちを感動させるのだろう。
最御崎寺への山道を登った。
登り初めてすぐに「ホテルなはり」の割引券が置いてあった。それには「お遍路さん、500円割引き。素泊まり3500円」と書いてあった。1枚いただいた。
布団に寝たのが、10月22日の徳島だった。その感覚が恋しかった。それよりも充電したかった。洗濯もしたかった。寝袋やテントを干したかった。体勢を整えたかった。疲れていた。
その割引券を大事にザックにしまった。「ホテルなはり」が身体を軽くした。「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」と般若心経のこの部分を唱えながら登った。「行こう、行こう、さあ行こう。みんなで行こう。幸せの世界へ、さあ行きましょう!」(「般若心経といろは歌」山田法胤著 PHP出版)という意味だ。お経は音楽に近い。詩というリズムを持っている。「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか」と書くと、分かると思うのだけれど。
24番札所最御崎寺に着いた。8時だった。
うしろすがたのしぐれてゆくか
山頭火