ご利益はありません、痛みは快感になりますか?(11日目の3)
ご利益はありません。
遍路をして何か変わったのだろうか、なんて考えていた。というよりも遍路中も「何になるんだろう」と思っていた。どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのかと。雨の日には特に思った。ねぐらの決まらない夕方も思った。坂道でも思った。そして叫んだりもした。金剛杖に当たったりもした。
思い出はいっぱい、ご利益は…
「プロ遍路はきっとMだね」なんて考えたりもした。野宿したり、酒を飲まなかったりすること、それが何になるのか、聞かれても、答えることが出来ない。達成感のようなものはあったにしても、変化なんてものはなく、ましてご利益なんてものは、今のところ一切ないように感じる。想い出だけはたっぷりとあったとしても。
室戸までの3日間は確かに長かった。それでも海がある風景は、それが司馬遼太郎の言う「地の涯であろうというそらおそろしさを感じさせる」場所であったとしても、開放感はあったし、そのことで気持ちも明るくはなった。森や山の中の、あの薄暗い風景のほうが、恐ろしさを感じた。なによりも海岸線にはねぐらがあった。
(第24番札所 最御崎寺にて 弘法大師像)
最御崎寺出発
24番札所最御崎寺を8時30分に出発して、室戸の街へ降りて行った。急峻な山坂は橋によってスロープになっている。それでも落ちて行くという感じがするほどの勾配だった。その日は風が強くて、いや、室戸はいつも強風が吹いているのかもしれないけれど、肌寒い朝だった。
1枚目のSDカードが坂道の途中で終わる。その時点で撮影した写真は770枚になっていた。
25番札所津照寺の手前のYショップに寄った。食糧もなかったし、お腹も空いていた。Yショップ前のベンチで、まるごとソーセージとツナマヨ、梅のおにぎり2個を食べた。10時になっていた。乾電池を買って携帯の充電器に入れた。少し充電できたところで、メールチェックをした。そのメールだけが、ボクの会話のようにも感じていた。遍路としてのボクではないボクとしてのだけれど。
津照寺到着
津照寺に11時前に着いた。いつものように納経をして納経所に行く。順番を待っていると関西弁のお姉さんに割り込まれた。ボクは何も言わなかった。割り込む以上にそこで呪いの言葉を口に出す方が忌まわしいことのように思った。心の中では「何考えてんだよ」と言っていたのだけれど。
そうしたらお寺の人が「順番は守ってください」とボクの代わりに言ってくれた。お姉さんは、何か言いたげに見えたし、そのことが態度に出ていたのだけれど、それに従った。そこで反論することでの不利益を、一瞬のうちに計算したのだろうと思う。そう言った計算をしてしまうのも、人間の弱さなのだろう。
彼女が車遍路でよかったと思った。歩き遍路だったら、この後もどこかで会うだろうし、その時に何を言えばいいのか、どういう顔をすればいいのか、となると気持ちが重くなるだろうから…。嫌な気持ちはどちらにもあったのだろうし…。
津照寺の階段を降りてボクは26番札所金剛頂寺に向かった。お寺は人が多かった。そのことはボクの気持ちも明るくさせてはいた。2日間、薬王寺から最御崎寺までは、数えるほどしか人と会わなかったし、言葉も交わさなかった。おまけに携帯も充電切れで、言葉も数えるほどしか話していなかった。御真言とお経だけは唱えていたのだけれど。
(25番札所津照寺にて)
津照寺 – Wikipedia