三津のバス停で野宿、南無大師遍照金剛(10日目の5)
苦しい時、辛い時、哀しい時があると「南無大師遍照金剛」と唱えるといい、と教えていただきました。金剛杖や白衣の背中にもその「南無大師遍照金剛」という御宝号が書かれています。
南無大師遍照金剛
その意味は、
「南無」はインド語のナモ、ナマス、ナマッハを音写つまり発音の音に近い文字で作った当て字です。意味は帰命、帰依する、永遠に、心から信じお従い申しますという信仰の誓いを表します。
「大師」は偉大なる師、という意味で日本では大師号として朝廷から徳の高いお坊さまに贈られました。お大師さまは空海と言う僧名ですが弘法大師という大師号を九二一年朝廷から給わりました。日本では二十数名の高僧に贈られていますが、「大師は弘法にとられ太閤は秀吉に取られ」と言われるよう大師と言えば弘法大師、お大師さまのこと表すのです。「遍照金剛」はお大師さまの灌頂名です。大日如来と言う仏さまの別名なのです。奈良の大仏さまは正式にはルシャナ仏ですが、その別名は大日如来さまなのです。お大師さまが中国に渡り真言密教の教えを授かったとき、最後の仕上げとして灌頂と言う儀式を受けられました。
そして
南無大師遍照金剛とお唱えになるのは弘法大師お大師さまを拝み、その後ろには大日如来さまが控えられ、また全ての神仏へとつながっているのです。御宝号の深い意味を噛み締めながら「南無」と信じるこころを開いて、「大師」お大師さまに守られて、「遍照」他人に対しても優しさ思いやりを持って「金剛」自分自身に厳しく、そういう修行の日暮らし信仰を持ち、お大師さまと同行二人の人生の道を、幸せに向かって一歩一歩精進して参りましょう。
ということなのでしょう。
三津のバス停で野宿
三津のバス停で野宿することになった。ボクは寝袋にもぐり込んでいた。まだ19時前だった。空腹は満たされることがなかった。さらに、携帯電話の電池は全くなかった。メールの受信も出来なかった。仕方ないので、ヘッドライトで日記を書いた。それだけの夜だった。
室戸は三度めだった。22歳の時に初めて来た。四国を一周したことがある。その時も野宿だった。御厨人窟(みくろど)、弘法大師空海が修行した場所での感動みたいなものは、それから常にあった。
そういう場所が、人にはかならずあると思う。そこに立つだけで涙が流れるような場所。神社仏閣もそうだろう。日常で宗教を感じることはなくても、場所が、空間が、ボクたちの心を揺さぶるように思う。それは、久しぶりに帰る故郷のようなもの、のような…。
早く起きて朝陽を見ようと思った。歩きながら夜が明けてゆく、そして御厨人窟に辿り着くということが、正しいこと、のように感じていた。
通り過ぎる車の音に驚いては目が覚める、また眠る、ということの繰り返しだった。起きているのか寝ているのか分からない夜、それも繰り返される、毎日のことだった。
(この日の宿、三津第二バス停)
この日の行程と費用
- 行程:野根海岸(安芸郡東洋町)~三津漁港(室戸市室戸岬町)
- 札所:なし
- 宿泊:バス停野宿
- 出費:1,802円(納経代、お賽銭別)
- 岬の食堂
- きつねうどん 450円
- 巻き寿司セット 300円
- (小計 750円)
- 佐喜浜スーパーフェニックス
- まるごとソーセージ 121円
- 十勝バターブレッド 126円
- やぶれ饅頭 68円
- カフェラテエスプレッソ 147円
- 白飯 120円
- 自家製サラダ 200円
- (小計 782円)
- 自販機
- 缶コーヒー 120円
- スポーツドリンク 150円
- 岬の食堂