佐喜浜、遍路はは食わねど高楊枝…なんて(10日目の4)

佐喜浜八幡宮を13時30分に出発した。

暖かい日だった。佐喜浜の街は驚くほど静かだった。24番札所・最御崎寺まで、まだ20キロあったし「地の涯であろうというそらおそろしさ」を感じさせる風景は続いていた。柔らかな空気と陽射しさえも、その感覚を増幅させていた。

スーパーフェニックスで食料調達

佐喜浜のスーパーフェニックスに寄った。食料の調達をしなければならなかった。『無料宿泊所一覧表』には「佐喜浜で絶対食料を調達してください」と記されていた。それは脅迫文のように感じられた。

スーパーフェニックス佐喜浜店にスナップショット 佐喜浜にて

佐喜浜で買い物を済ませると室戸へ歩いた。防波堤道を歩いた。道路標識と同じほどの高さにいた。

「ロッジおざき」の先で休憩した。まるごとソーセージを食べた。サーファーがひとり、海を見ていた。その斜め後方に座って、ボクもひとり、海を見ていた。海岸にいるのはサーファーと遍路、四国の海岸の風景だった。

話すことは、なかった。ただ、繰り返される波の動きを見ていると、彼らもまた巡礼者のように思えた。その波に乗っては打ち上げられ、そしてまた沖へ向かっては打ち上げられる。永遠の動作、それは一種の行、例えば「虚空蔵求聞持法」のようにも感じられた。

そしてまた歩き始めた。

夫婦岩の休憩所でトイレ。鹿岡鼻を過ぎると室戸岬が随分と近くに感じられた。もうほとんど周りの風景を記憶していないほど、室戸の岬だけを見ていた。室戸東中学校を過ぎた頃には夜の気配がしっかりと感じられた。

寝場所探し

ねぐらを探さなければならなかった。物色する目つきになっているのだろうと、思ったし、キョロキョロ辺りを見渡す風は挙動不審だったに違いない。

三津漁港の近く三津浜バス停には先客がいて、夕食なのだろう、コンロで何かを煮ていた。挨拶だけして通り過ぎる。ここは「無料宿泊所一覧表」に載っている場所だった。「当てが外れたなあ」とつぶやいた。

さらに夜が濃くなっていった。ボクの不安も増していった。歩いていた。佐喜浜漁港の次のバス停に辿り着いた。そこは無人だった。もぐり込んだ。腰を下ろした。狭いベンチだった。それでもバス停は小屋だった。屋根もあれば壁もあった。それがなによりだった。

ボクは白飯とサラダ、そしてやぶれ饅頭の夕食をとった。「鶏天も買っとけば良かったよ~」と日記に書いている。「(佐喜浜のスーパーで)絶対食料を調達してください」という、あの表に書かれた文字を思いだしていた。『「絶対食料をたっぷり調達」にするべきだね、特に唐揚げ』とも書いた。そして叫んだ。「食わせろ」と。


(夫婦岩が近づいてきた、夜も近づいてきた)

スーパーフェニックス 佐喜浜店

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