内妻海岸の朝、そして修行の道場へ(9日目の1)

内妻海岸の朝、目ざめると、そこは良い場所だったということが分かった。
内妻海岸に前夜22時に着いて、そのまま幕営して眠りに落ちたボクは、熟睡していたし、少し遅い朝を迎えていた。身体は完全には回復することはなかったのだけれど、筋肉や関節、皮膚や骨の痛みは和らいでいた。

内妻海岸の朝

テント入り口のファスナーを下ろして外に出た。薄曇りの空、太陽は水平線のあたりにいるという気配だけは分かった。近くにはトイレがあり水道があった。橋の下には休憩所もあった。「内妻荘」が見えた。明るい内に着いていたら、と、また後悔した。タイミングが悪すぎる、と思った。少しずつずれていると感じた。勝浦での半日を動いていれば、と思った。

テントから見える海岸と流木

 

犬の散歩の人がテントの近くに来たので挨拶をした。「昨夜はここに泊まらせていただきました」いつもそう言った。「もう寒いでしょう」とその男性は答えてくれた。「はい」とボクは答えた。。

そして「どこからですか」というようないつもの会話をして、その人は海へ向かって歩いて行った。ボクは撤収を始めた。テントは少し結露していた。そのことで寒さを確認した。

7時、パッキングを済ませると、国道へ向かって歩き始めた。

鯖大師を通り過ぎて、あさかわ駅前の待合室にて休憩。1時間しか過ぎていなかったのだけれど、なんだか疲れていた。ベンチに荷物を置いてトイレに行った。そして缶コーヒーを飲んだ。

あさかわ駅前待合室にて

しばらくすると、今来た道をお遍路さんが歩いてこちらへ向かってきていた。近づくと、Kさんだと分かった。ボクは手を振った。日和佐で10キロ以上先にいっているはずのKさんだったのだけれど、その10キロを昨夜22時まで歩いくことによって、追い越してしまったのだ。正確には、Kさんは内妻荘に宿泊していたので、今朝ボクが追い越したことになるのだけれど。

Kさんが待合室にやって来た。日和佐からの2日間のことをお互い話して、Kさんが先に出発した。ボクは「もう少し休んでから行きます」と言った。「じゃあ、またね」とKさんは言った。

少し足が痛そうだった。ボクも痛かった。踵のところに出来た豆が治らないでいたし、つぶしてもその横にまた出来たりで、範囲が拡がっていた。片足だけではなくて両足、同じよう場所。それでも「BAND-AID キズパワーパッド」は、かなり効果的に傷を治していたし皮膚を保護していた。痛みの場所が確認できるということは、それだけで安心できた。

膝の痛み

この後、膝を痛めるのだけれど、どの部分が痛いのか見えないということへの、恐怖みたいなものがあった。それに原因が分からないということは、それだけで不安になった。踵の豆は、そこに在って、それがボクの痛みだった。原因だった。

存在への認識がないと人は不安になる。例えその認識が間違っていたとしても、確認できれば安定するのだろう。訳の分からないものを、訳の分からないもののままに出来るほど、人の精神は怠惰でもないように思う。怠惰ではないのだけれど、その答えが出ないと、不安定になる。例えば「自分の存在」なんてのもそうだろうと考えていた。

そして修行の地へ

ボクは立ち上がってザックのショルダーハーネスを右肩にかけた。そして左肩。ヒップベルトを締めた。右手に持った金剛杖でコツンと地面を叩いた。それを合図に右足を一歩前に出した。歩き始めた。発心の地、阿波・徳島を打ち終え、いよいよ修行の道場、土佐・高知へ、9日目の朝だった。

内妻海岸から少し歩いたところから見える海岸沖の島と花
(さよなら内妻海岸)

【山頭火の投宿碑】ひと風呂浴びて、いい気分 |徳島新聞デジタル

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