別れのしかた

九州に上陸した台風は昨夜来から激しい雨と風で、ボクの睡眠も妨げたのですが、今はどこにいるのやら、台風一過というのではなくて、きっと台風の目の中にいるのではないかと思っています。それとも速度を上げてすでにどこか行ってしまったのか。いえ、やはり今、上空にいるようですね。

お盆休のUターンラッシュは過ぎてしまったのでしょうか。トヨタ期間従業員や、そのトヨタ関係での出稼ぎの人たちは今日ぐらいから、戻ったり、行く準備をしているのでしょうね。ボクも明日の午後には列車に乗るので、今日が最後の日となりました。激しい風や雨も、ボクにとっては悲しい音楽のように聞こえます。


JRのポスター「日本の旅は列車です」

別れのしかた。

ボクは電車で行くのですが、夜行バスや高速バス、飛行機、自家用車なんて人もいるのでしょうね。どの別れも悲しいものなのでしょうが、思うのですが、バスの分かれというのが一番悲しいのではないかと。

なぜかと言うと、普通そういった乗り物での別れというのは、乗り物が出発した時点で別れる人とそれを見送る人との距離が確実に開いていくものです。それはもう圧倒的で、ふたりの意思なんてのに無関係に、「じゃあね」なんて感じであれよあれよという間にふたりの距離はもう走っても届かない距離になってしまいます。

ところがバスなんてのは、バスターミナルを出発したら、その角には信号機があって、「さよなら、また冬にね」なんて泣いて別れた彼女や彼が、その信号で停まったバスを追い越すということがよく起こります。その角に信号がなくても、見送る人にその意思があれば次のバス停で待っていることもできたり。ですから、バス停での別れは、追いかけてもう一度顔をみたいという気持ちを、グッと押さえてその別れた場所に数分間留まらなければならなかったりする勇気なんてのもいったり。

バスターミナルは繁華街にあったりするので、そういったことがよく起こるように思います。いつまでもバスと並行して歩いてくる彼女や彼、あるいは奥さんやお子さんの姿を見ながら、手を振りつづけるのでしょうね。それが窓際の席ならまだいいのですが、そうでなければ、窓際の人に「すみませんね、すみませんね」なんて謝りながら、いつまでも変わらぬ信号機を恨んだり…。介錯人のいない切腹みたいなもの、かもしれません。

バスターミナル、夜8時。さよならという言葉を使うことへの躊躇い。ギリギリまで引き伸ばした時間は、ここになって歪んでくる。出発の合図と同時に、別れは決定的なものになる。

もう手の届かない場所にいることがワカレなのだろう。そして信号機に停まる。それでも手は届かないのだけれど、そのバスの前に身を投げ出せば、きっと…。信号が赤から青に変わるほどの時間。それがふたりの別れなのだ。

と、ま、詩人でもないボクにでも、そういった情景は浮かんでくるほど、バスの別れというものは、どこか辛いものがあるように思いました。

きっと、今晩や明晩の名古屋行きの夜行バスは満席で、臨時便も出ているのかもしれないですね。

2件のコメント

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    どうも、遅くなりました。
    先ほど田原のへ戻ってきました。20時間ほど電車に乗ると、やはり疲れますね。眠い。
    強制帰省になったのですか。やはり経費節約ですかねえ。でも帰省旅費がでたのでは?
    「一度はやってみたかったから」
    半年後に結果が出ると…。

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    先日登場しましたホンダ期間工です。
    日曜まで夏休みなんで今は自宅に帰って来てます。というか、ホテルの方は強制帰省のようで・・・・。
    そうそう、作業着の件ですが、
    洗濯は工場でしてくれますよ(無料です)。3着支給されたんで、今は毎日洗濯に出してます。
    突然ですが、私が期間工になった理由:
    一度はやってみたかったから・・・。
    これって・・・。

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