帰郷(12月24日)

ボクは故郷に帰るということがどんなものなのかを知っていて、それはみんなが思っているほどバラ色の時間でもないし、みんなが考えているほど期待するほどのものでもなくて、宝くじの当選番号を調べる時のドキドキする感じで、どうせ一等なんて当るわけないんだからと調べ終わった瞬間に似ているように思うんだ。


蔵王山からの夕陽。今日あたりは正月帰省から寮に戻ってくる人が多くて、寮も日常に戻っているのでしょうね。月曜日は黄直が一直から始めるんだったっけ?さて、今日は何しようかなあ、オレ。

期待するほど故郷ってのは優しくもなくて、想い出ってのがそこいらに転がっていて、それがボクたちの自意識みたいなものを刺激する。そうして田原にいる時以上に下を向いて歩いてしまうってことがあるもんなんだ。それにボクたちってのは、多かれ少なかれ故郷で何かがあってトヨタ期間従業員としてやって来たのだから、少しばかり時間が流れていったとしても、全てが振り出しに戻るってことでもないということを知っているのだから。

ボクはそんなことを考えていて、田原を離れる当日になってから「もう少しいようかなあ」なんて思っていたんだ。

24日、ボクは予定していたように7時30分のバスそして渥美線に乗って、豊橋のトヨタレンタカーに行った。「三河湾大橋を渡って」というのはボクの夢だったし、それがボクの田原で一年近く過したことへの自分自身へのプレゼントだと考えていたんだ。そしてそのことでボクの期間工物語は最終回をむかえることになるという、そんなドラマティックな演出を考えていたんだ。

クリスマスイブという、世界中がプレゼントに夢中になる日にボクとしては誰にも負けないぐらいのプレゼントが出来たと思っている。

レンタカーを借りたボクは豊川に向った。豊川稲荷に行った。そして三河湾大橋を渡って田原から伊良湖、渥美半島をドライブして、夕方日が沈む頃に蔵王山に登ったんだ。ボクはボク自身の気持ちを整理しなければならなかったし、それが次への一歩のためには必要だった。ボクは車を走らせながら、いろいろなことを考えていた。

風景というのはそれ単独で記憶に残るということはとても稀で、そこで何を思ったかとか、そこで何をしたかということをスイッチとして後になって思い出されるのだろう。そのことを話すと「歌に似ているね」なんて言った女の人がいたけれど、なるほど曲や歌詞単独でその歌というのを思い出すということは少ないのかもしれない。

スローバラードのような時間が流れていった。

かなりゆっくりの時間が過ぎて、眼下の田原の街の帳が下りる頃、ボクは「じゃあ、また」なんてひとりごちてから車に乗り込んだ。もう風車や衣笠山の向こうに沈む夕陽は見ることができないかもしれないと思ったし、そう思うと少しは気が楽になって、次々とボクが今後やらなければならないことが浮かんできた。

ボクは三河湾大橋に向ってゆっくりと坂道を下って行った。それは助走のように思えた。
(うまく書けないのだけれど、ボクはそんな感じで田原を、三河湾大橋を渡って出て行ったのです)


12月24日の夜は田原を後にして名古屋チサンホテルに泊まりました。このホテル丸くなっていて、どこか外国の(それも発展途上国の)ホテルみたいで、かなり狭い部屋なんんだけれど、ボクは好きになりました。円の外側の部屋だと窓から街並みが見えるんだけれど、ボクの宿泊した内側の部屋の窓からはこんな風景しか見えなかった。それでも、ま、4200円という料金と、名古屋駅からすぐという条件、何よりも異国情緒たっぷりの造りが気に入ったんだけれど。

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