1.5秒(2)

神戸中央郵便局がトヨタ方式(TPS)を導入して、従来ははさみで行っていた作業をカッターにしたことによって、仕分け作業を1・5秒短縮したということについて書いたのですが 1.5秒 どう考えても、作業の効率化を追求すると、仕事というものが本来もっている情緒的な部分を捨ててしまっているように思います。

第6田原寮、第2田原寮、そして姫島

「封書を束ねたひもをカッターで素早く切る」という作業を想像すると、「そんなの機械でやらせたほうが早いじゃん」と思えて、もう封書という人と人を繋ぐ言葉の包みが、バサバサ、プチプチと切られて、中には少し傷付けれれているものもあるのではないかと思うと、もうそれは作業とか仕事ではなくて、ただの暴力みたいなもので、「なんてヒドイことを」と思わず言ってしまいそうですよね。
はさみだと、ひもを左手でそっと持ち上げて(「大丈夫だよ」なんて言いながらね)、そしてはさみの間にひもを通して、ちょうど良い力加減でぱさりと…なんて、もうこの動作だけで文学的ですよね。ほらほら、違う想像だってできるでしょ?封書のひもが、ま、違うひもになって、「ぱさりと、切った。」なんて…。
実は仕事と言うのは、こういうことだと思うのですよ。想像力がそこには介入する空間があって、そしてその時間によって、目に見えない客を想像することができると思うのです。CF(Customer First)活動なんてのをトヨタ自動車も行っていますが、あの高速タクトで顧客の顔が見えてきますか?ライン作業中にあなたが作っているものが、車であるなんてことも忘れそうになりませんか。というか「オレ何してんだろ?」なんて思ったりしますよね。
効率化というのが作業員の機械化を推し進める。「ぱさり」という語感や、その優しい動き、所作までをも単純化してしまうことによって、想像力を奪ってしまう。その結果が、仕事という人と人の繋がりであったものを、タクトタイムという中に閉じ込めてしまって、その時間で完結する世界を作ってしまう。カッターナイフで「バサバサ」「プチプチ」と刺し切り裂く感じの、冷たく乾燥した作業。その切り裂かれるのもの先には、母親が息子を心配して送る手紙や、恋人が愛を語る手紙、そして1年に一度だけ母の日に送る息子の手紙なんてのもあることを、すっかり忘れてしまっている。悪いけれど、猿にでも出来る仕事を求めるということが、本当に良いのだろうか。(猿に悪いのですよ、トヨタや郵便局の職員じゃなくてね)
昔、「郵便やさんありがとう」と封書の表、切手の下に書いて送っていました。もうそんな言葉を読む暇もないのでしょうね。そんな「お客さんとの係わり合い」なんてのを持っていたんじゃ、1.5秒なんて短縮できないですからね。製造業だけではなくて、他の職種からも、仕事のもつ美しさなんてものを排除することで、いったい何が残るのでしょうか。利益はすべてに優先されるものだろうかと、思っています。
てか、30日過ぎても、カード再発行できない郵便局にちょっとご立腹なんですよ。

2件のコメント

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