帰郷・東本願寺で泣いた(12月27日)

えっと、ま、「よく泣くヤツだなあ」なんて本人が思っているのだから、本人以外の人もきっとそう思っているのかもしれませんね。
電車の旅の良いところといったら、それは移動中に寝ようが本を読んでいようが、酒を飲んで考え深そうな顔をしていようが、泣いていようが、「どうぞどうぞ他のお客様に迷惑さえかからなければ」ってところにあると思う。

この日までにボクはディケンズの「クリスマス・カロル」(村岡花子訳)を読んでいたし、それからは司馬遼太郎の「夏草の賦」を読んでいたんだ。クリスマス・カロルは、ま、ご存知の通り愛と感動の物語りだし、夏草の賦も長宗我部氏の生涯を描いた物語で、戸次川の戦いのあたりになると、もう涙を抑えられなくなるしね。少し、ま、恥ずかしい話なんだけれど、やっぱり電車の中で泣いてしまうわけですよ、これが。で、正面に座ったご婦人がいぶかしげにボクの顔を見ていて、目と目が逢うと「あ、ごめんなさい、見てはいけませんでしたね」なんてつぶやいているのが聞こえてきそうな感じで。
京都を歩くのは12年ぶりでした。その間何度か車や電車で通ったのですが、降りて歩くということはありませんでした。
京都、奈良っての1回は行ったことがあるという人が多いと思うのですが、それは神社仏閣巡りの修学旅行や歴史に関する施設を巡る旅だったりするのでしょうね。神社仏閣を訪ねるだけでも一日や二日では終わりそうにないですからね。あ、そうそう修学旅行でという人が多いかもしれないですね。
仏教徒にとっては(日本人の9割が仏教徒だそうですが)聖地で、それぞれの宗派の本山が多いのもこの地域ですよね。ボクの家は浄土真宗東本願寺派なのですが、この一派の本山は実は東京台東区にある東本願寺なのです。そこは元の真宗大谷派浅草別院だったのですが独立し本山東本願寺としたのです。
京都駅からほど近くにある東本願寺は真宗大谷派の本山で真宗本廟が正式名称、東本願寺、お東さんというのは通称です。東本願寺がふたつもあるのは、宗門内の対立、いわゆるお東騒動が起きて真宗大谷派が、真宗大谷派・浄土真宗東本願寺派など4派に分裂したからなのです。ですから宗祖親鸞聖人から歴代法主24代目までは法主は同じです。そしてこの東本願寺とは別に浄土真宗本願寺派というのもあって、これは西本願寺です。五条坂を登りきったところにある大谷本廟は西本願寺です。西本願寺も宗祖は親鸞聖人です。
実にややこしい。自分の家の宗派が言えますか?
ですから、ボクがこの東本願寺(真宗本廟)に行くのは、スンナ派の中にシーハ派のイスラム教徒が行くようなもので、身の危険を感じるところなのでしょうが、このあたりは日本人のおおらかさというか、仏の慈悲というか、日本仏教界のややこしいところというか、宗教の宝石箱というか…。でも、宗祖は親鸞聖人ですし、仏陀であるのですから、ボクたちはどの寺院に行っても、宗派を乗り越えたその向こうにおられる仏に逢うということでは正しい行動だと思っています。
ボクは阿弥陀堂の中にいて、しばらくの間座っていました。ただあの広間に座って本尊・阿弥陀如来を見つめていたのです。やはり涙が出てきてしまう。それがなぜだかは分からないのですが…。
それは感動とかいうものとは違う、安心感みたいなものなのかもしれませんね。ボクたちのこころの原風景というようなものが京都奈良の神社仏閣にはあって、そしてそれがボクたちを慰めるのだろうと思っています。京都奈良に行くということは、実はそういうことなのかもしれないと、ボクは考えながら、五条坂に向ったのです。

1件のコメント

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    http://kyoto-lab.info/938C967B8AE88E9B/

    東本願寺東本願寺(ひがしほんがんじ)*京都の寺院:真宗大谷派の本山、真宗本廟の通称。本願寺十二世教如(本願寺光寿)が、徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、1602年に本願寺が二つに分かれたときに開いた寺。現在の京都市下京区烏丸六条に位置し、堀川六条

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