早上り

さのぼりとは「田植えの終わりに田の神を送る祭り」です。「さ」は田の神、早乙女の「さ」も田という意味で田植をする乙女です。
昨日田んぼの畦道に座って蔵王山に沈む夕陽を見ていたら、神の存在を、というか、「なんかいるな」という、ゾクゾクする感じを身体に感じていたのです。霊感があるとか強いとかではなくて(ま、ボクにはそういったスピリチュアルな部分の感性は弱い/ないと思っていますので)誰もが感じるだろう、殺気とは逆の「生気」みたいなものを、フッフッと首筋に触れる風のような…そんな感じ、それは動物としてもっている本能みたいな部分で感じるもの、を感じていたのです。

神がいるのが見えますか?
機械化されていなかった頃の田植は全て人力でしたから、田植の終わる夕暮れ時には人びとはかなり疲労していて、そして空腹だったでしょうから、体内からはアドレナリンとかドーパミンなんて物質が現在人よりも多量に出ていたのではないかと思うと、ちょうどその瞬間、夕陽の蔵王山から神が降りて来る姿や、神が上っていく姿を確実に見ていたのだろうと思います。幻想とか幻覚とかとは違う、もっと現実的な姿を。それも集団で。
田原市には、そういった何かを感じる場所が多いですね。朝陽や夕陽が綺麗な場所が多い。笠山に昇る朝陽、汐川干潟の向こう豊橋から昇る朝陽、蔵王山から見る朝日、夕陽もそうですね、姫島に沈む夕陽、蔵王山に沈む夕陽…どこへ行っても間違いがないと思います。まだボクの知らない場所も多いのですが…。
そういった風景、風土が人の感性を磨くと思うのです。じゃあ都会の人は、なんて言われそうなのですが、都会でもそういった風景はありますし、テレビや雑誌や本なんかでいつでも見ることが出来ますよね。胎教で音楽を聞くという話は良く聞くのですが、綺麗な風景を見るなんてことはないのでしょうか。ま、お腹の赤ちゃんに音は届いても、母親が見たものは見えないということなんでしょうが。
ボクの生まれ育ったところは、家の後ろがすぐ山で、そして潮騒も聞えるような漁村でした。朝陽は季節によっては海の向こうから昇ってくるのですが、夕陽は紅くなる前にあっという間に裏山に沈んでいきました。キラキラ輝く海、そして月光に鈍く光る海を今でも憶えています。故郷といったら、そんな海の記憶です。
記憶の中ではいつも綺麗です。でも、子供の頃からその故郷が嫌いでしたし、早くその村を出たくてしかたなかったのです。あの濃厚な人間関係を疎ましいと思っていたのです。
今はその故郷もそして親さえも捨てて、もう故郷にも近づくこともないのですが、そういった風景やそれに重なるようにこびりついている思い出なんてのは、いつも近くにあって、やっぱり筋肉を弛緩させるのですよ。
でも、それはボクにとっては宝石のような風景であっても、ボク以外の人にとってはなんでもない普通の風景なのかもしれないし、それどころか、嫌なものかもしれないと、思っています。そして何を言われようと、例えば「あんな村よく住んでたね」なんて言われても、ボクは平気なのですよ。
それはその人が全てを知らないということもあるだろうし、土地に憑いたその霊的なものとの相性ってのもあるのだろうと考えているからです。波長が合う合わないというのは、なにも土地だけではなくて、全ての物や事、そして人にも言えることですからね。その波長というのは、やはり「なんかいるな」というものとの相性、そのフッフッと首筋に触れる風みたいなものを心地良いと感じるかどうかだろうと思っているからです。

6件のコメント

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    歩さん、おはようございます。
    郷土愛とか、ま、その郷土への帰属意識みたいなものが、ボク自信の精神構造にはどうも希薄なように感じています。
    とはいっても、九州人であるとか、例えば高校野球みたいな、その地域間の戦いってことになると、やはり故郷を応援するのですが、それとて現状の高校野球を考えるとすこし白ける部分もあるし。
    早い段階で生まれた土地を出たかったし、そして出たので、心情的には理解できたとしても…。
    patriotismってのとnationalismというのは…、ま、身近なものを愛せないことには、全ては始まらないのでしょうが…。
    パトリオットってミサイルがあったなあ…。

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    そういえば豊田って合併してめちゃくちゃ広くなったんですよね。政令都市を目指すつもりもあったとかなかったとか…噂とも思えないとこが怖いですが(笑)
    豊田が広いってのは一部の地域の人以外は共通認識で間違いないですよね。実はその一部の人が僕なんですが(笑)
    ちなみに、僕の言う一部の地域とは、高山、静岡、札幌です。
    だもんで(使わせて貰いますよ、三河衆w)、あまり広いって感覚はないんですよ。なんなら三好もくっつけちゃえばいいのにって思うんですが、大人の事情があるんでしょうね(笑)
    でも、我が故郷もそうですが、あまりに広いと市への帰属意識が薄れるんですよ。
    自分の生まれ育った場所はススキノまで車で15分の結構都心へは近い所なんですが、感覚的には隣の市へ行く感じです。
    札幌の場合は、東京23区の面積に相当する南区ってのが殆ど山林なんで高山や静岡とはちょっと違うんですが、それでもこれですからね。高山市や静岡市の偏狭に住んでる人は「市」への愛着は湧きづらいでしょうね。
    自分は狭い意味での(広い意味でも)ペイトリオティズムは大事だと思っています。これから道州制になって各地域がその辺をどう考えるのかわかりませんが、とりあえずこれ以上つまんない政令都市を作るような真似だけはしないで欲しいと願っています。

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    >もっちんさんへ
    いくら綺麗な場所でも、やはり相性が悪いと嫌いになりますよね。きれいな風景も3日も見れば飽きる場合もあるし…。
    そして、やはり、その風景を見るときの自分の感情次第では違ったものに見えると、ボクも思います。
    今回の「期間工にとって愛知とは」について、「こんな良いところもある」なんてご意見もあったのですが、それはまた別問題で、その街の雰囲気が合うか合わないかということ、相性が良いか悪いかなんてことだと思うのです。
    故郷の風景というのは、もう骨肉の一部になっていて、そういった場所との相性を決める鍵になっているのかもしれないと思っています。
    ボクの場合は海があって、山があって、ちょうど田原のような故郷の風景ですから…。自分の原風景とかけ離れている場所については、なかなか好きにならないのかもしれないと、思っているのですが。
    >メイさんへ
    そうですね、豊田市は合併して更に広くなって、中心部ではないところへは、行くことなく期間満了になる人がほとんどだろうと思います。
    ただ、ボクが今回問題にしているのは、期間工が生活する範囲のことで、「優しい街」といっても、ボクたちが生活するうえで優しいかということを考えてみようか、ということなのです。
    そして、それはこの「早上がり」でも書いたように、風景が云々と言う前に、相性があるということなのです。
    ボクたちが関わりあうのは、別に奥多摩でもなくて、生活圏だけの話で、そういう広範囲の話を始めたら、キリがなくなるでしょうから。
    「期間工にとって愛知とは」というタイトルに対して、どうしても「期間工にとって豊田とは」というものになってしまう。その豊田というのは、なにも足助とか岐阜とか長野県境の山間部を想起するものではないと思います。
    寮と駅、寮とスーパー、寮と豊田市駅といった半径の地域でのことしか、ボクたちは触れ合う機会もないのだし…。
    そしてその範囲の中での、要するに住むという生活圏内での、街との接触で、郊外に出ると、住むと言うことよりも旅に近いものになると思いますので。
    メイさんのおっしゃりたいことは分かりますが、今回の問題は「期間工にとって」「ボクにとって」なので、足助や香嵐渓などはまた違った話になると思います。
    そういうメールも頂戴して、ボクの認識不足だとの叱責もあるのですが、あくまでも元の話題はそして今回の話題は期間工とボクですし、それは車もバイクも持ち込めない人たちのことですから、行動範囲が限られている、という生活圏という豊田市、愛知県ということです。
    #「期間工にとって愛知とは」というタイトルですから、ボクは「田原は良いよ~」と毎回言ってることだし。豊田は嫌いですが。

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    文字数オーバーしてしまったようですので、続きです。
    秋になると、
    電照菊の温室からもれる幻想的な灯りが一帯に広がります。
    田原は、愛知県民のほとんどが好感を持っている地域のはずですよ。
    管理人さんの書いていらっしゃることから、
    いい形で発展している様子ですね。
    ひょっとして、豊田市が反面教師だったりして(笑)。
    それでは、このへんで失礼します。

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    はじめまして。
    いつも読ませていただいています。
    心やすらぐような風景の写真、
    その色彩にはっとさせられるような写真に感激しています。
    さて、私は豊田市生まれの豊田市育ちです。
    といっても、豊田市にいたのは高校を卒業して
    浪人生活をしていた19歳まで。
    大学入学で東京に来て、
    すでに東京暮らしのほうが長くなってしまいました。
    実家の父は、トヨタ自動車に中途入社した
    元トヨタマンです(定年退職しています)。
    思えば、若かった当時、豊田市という田舎から脱出したくて、
    そして、トヨタ自動車でしか語られない豊田市から
    逃げ出したくて東京に出てきました。
    私の育った地域は、
    豊田市の中でも矢作川の東側一帯に広がる新興住宅地です。
    そこは、トヨタの工場群があるエリアとはまるで違う、
    人工的な、今どきのニュータウンを
    想像していただければいいでしょう。
    おそらく、住人の9割が豊田市出身でなく(私の両親も流入者です)、
    お父さんたちの8割がトヨタや関連会社に勤務、です。
    豊田市から逃げ出したかったのは、
    豊田市に対して文化や伝統を感じることもなかったし、
    都会でもなく、ど田舎でもない、
    中途半端な風情のない街に愛着が持てなかったからです。
    帰省するにしても、目的は家族や友人と久しぶりに会う、
    ただそれだけ。
    “ふるさと”に帰るという感覚は、まるで持てなかったですね。
    管理人さんは豊田市のお祭りはどんな・・・と
    思っていらっしゃるようですが、
    「おいでん祭り」は、新しい地域振興イベントなので、
    伝統的なお祭りではないです。
    伝統的なものとしては、「挙母(ころも)まつり」や、
    「足助(あすけ)の棒の手」などがあります。
    「挙母まつり」には子供の頃に連れられていきましたが、
    地元のお祭りなのに観光客気分というか、お客さんの感じでした。
    帰属意識がまるで持てない、
    その思いが少しずつ変わってきたのはここ数年のことです。
    歳のせいもあるでしょう。そして、
    もうちょっと豊田のことをちゃんと見てやろうと、
    そういう余裕がやっと生まれてきたということもあるでしょう。
    豊田市と一口に言っても、特に2005年に周辺町村と合併した後は、
    面積がとてつもなく広くなり(東京23区全体より広いんですよ)、
    トヨタの工場群も豊田市ならば、
    それとはまるで違った風景の、一見地方都市風の名鉄豊田市駅周辺も、
    工場群より広大な郊外の新興住宅地も、
    江戸の街並みを保存している足助も、
    点在する田園風景も、紅葉で全国的に有名な香嵐渓も、
    標高1000mを越えそうな、長野や岐阜県境の山々も豊田市なのです。
    豊田市について、よくないことを言われてしまうのは、
    それは、田舎であっても東京のように
    (それはよくも悪くもトヨタ自動車の影響で)、
    ある種の特定の視点で、部分的な印象で語られてしまう街だから
    仕方ないなと思っていました。
    たとえば東京の渋谷に遊びに来た人が、
    「あんなに人が多くて、ぶつかっても
    謝る人のいない東京なんて二度と行きたくない」と言われた時に、
    「あー、そうだね」、
    「あっ、でも、もし自然が好きだったら奥多摩もありますが・・・」
    と思ってしまうように。
    豊田市および豊田市の人たちは、財政が豊かなだけに、
    街づくりにも行政施策にも声をあげてこなかったことは確かでしょう。
    しかし、トヨタがあってもトヨタに依存するのではなく、
    時には反対意見も出して、トヨタ批判もして、
    これからの“あるべき街づくり”を始めていることも確かです。
    管理人さんのサイトなのに、こんなに長々とすみません。
    小分けにして書かせていただこうとも思ったのですが、
    こういうことは、まとめて語ってこそ意味があり、
    みなさんにも読んでいただけるかなと思いまして、
    どうかお許しください。
    ———————————————————
    さて、田原市は、今はどうか知りませんが、
    豊田市の子供たちが必ず遠足で訪れた町です。
    少し前までは田原町でしたので、
    市というと「あれっ」という感じですが。
    渥美半島の先端は旧渥美町ですが、
    柳田國男が、海岸に流れ着いた椰子の実の話を
    島崎藤村に語ったことがきっかけになり、
    あの「名も知らぬ、遠き島より・・・」
    という叙事詩の誕生につながったことは有名ですね。
    しかも、その海岸の名前は「恋路ヶ浜」。
    子供心にも「なんて素敵な・・・」と思ったものです。
    秋になると、
    電照菊の温室からもれる幻想的な灯りが一帯に広がります

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    今、私は自分の生まれ故郷に住んでいます
    好きかといえば、好きでもあり、嫌いでもある。
    ついでをいうなら、両親とも離れてくらしてます。
    故郷の自然、山や川や田んぼは幼い頃遊んだ場所だし
    愛着もあります。宅地化が進んでしまった感もありますが
    それでもまだ緑は豊かです。お気に入りの場所も何箇所か
    ありますしね。
    ただ新興の住宅地とはいえ、あまり人間関係は好きではないんです。職場は奈良の山奥(桜のきれいな所の少し手前です)なんで余計に人間関係が濃密で時折息切れするときもあります。職場からは雄大な緑豊かな山々があり、空気もよい所ですが、私はどうもその場所が苦手ですし、好きになれない。これもおそらく相性の問題だと思います。
    職場に行く道すがら、飛鳥の古墳や遺跡、お寺がある地域を通る時がありますが、職場に行く道という感じだと、なにか見慣れた嫌な風景としか感じない自分がいます。
    これが休日に通ると、新緑の季節の朝もやがかすかに掛かる風景や少し寄り道したあぜ道のひなびた、けど森に囲まれた荘厳な祠なんかもあり、またかわった見方が出来るんですが。
    でも、おそらく、今の職場をやめて、新しい土地に移ってしまうと、しばらくしてわかるんでしょうね。
    その風景が自分の思い出として骨肉の一部になっている事に・・・・・・

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