ひとりぼっちのゴールデンウィーク

最初の休日は豊田市内まで買い物に行った。あの日のことをかなり鮮明に憶えていて、空の感じとか、街の乾いた空気とか、そしてやはりうつむき加減のボクのことなんかも、たまに思い出すときがあるんだ。好きになれなかった街だったし、今でもその気持ちは変わっていなくて、あの起伏のない風景がいっそう温もりを奪っていて、「砂漠」を感じさせるんだ。
田中和風寮C室
豊田市のジャスコがあるあたりにはダイソーなんてのがあって、そことか文房具屋とか、ついでに松坂屋に行った。通勤仕事用の財布なんかを買った。初めての街を歩くと、距離よりも長く歩いたように感じる。それは知らないという不安が距離感覚を麻痺させているのだろうと考えている。知らない街に対して持つ期待みたいなものはなかったし、それを感じさせるには何かが足りないように思っていた。
その後何度も電車に乗って、あるいは自転車で豊田市街地や矢作川沿いの道を散策したのだけれど、最後までその足りないものを感じたままで、そうして乾いた感触のままだった。
ゴールデンウィーク間近だった。工場でもバスの中でも連休中のことが合言葉のように語られていたし、どことなく、それはボクが感じただけなのかもしれないが、期間従業員の顔も明るかった頃のように憶えている。通勤バスから見える田んぼには植えられたばかりの稲苗の若緑色が眩しい頃でもあった。
同じ部屋のMさんもTさんも帰省するということで、豊田ICからの高速バスのことなんかをTさんがMさんに質問していた。Tさんは、ボクよりも少し前に入社した30代後半の人だった。身体の大きさとは反対に、声は小さくて聞き取りにくかった。口の開け方が悪いように思ったし、それはもう身体に染み付いた癖みたいなもので、本人に自覚症状があったところでもうどうにもならないようにも感じた。それが子供っぽいということに受け取られていたのかもしれないと、思ったし、実際、初めて故郷を離れて生活しているのではないかと思えるような感じもした。
連休前の最終日、金曜日は一直で、Mさんはその日のうちに高速バスに乗って帰省してしまった。Tさんも同じ地方出身だったのだけれど、その日は帰らないで、そしてなぜだか次の日も帰らないで、二日後の朝にやはり高速バスに乗って帰って行った。二日後という理由が分からなかったし、日曜日に実家に着くということに、とても重大な意味があるとも思えなかったので、ボクもその理由を聞くこともしなかった。
Tさんが帰るとボクはあの田中和風寮通路側のA室に独りぼっちになった。それでも寂しいとか、怖いとかいう感じはしなくて、やっとひとりになれたという開放感があった。それでもいつもの同じような生活だったんだけれど。
朝は起きたい時間に起きて、何をするわけでもなくて時間を持て余していた。寮に残っている人もいたのだけれど、帰省している人のほうが多くて、やはりいつもと違って静かな田中和風寮だった。みんなどことなく鈍よりした顔つきだったし、同じように一日をどうやって過すかということが重大事のようだった。
連休中の寮は悲しさや寂しさで溢れているようだった。ボクは違うといっても、他人から見たら、やはり寂しそうな感じだったのだろうか、なんて考えているんだ。
失業、引越し、期間工、そしてゴールデンウィークまでの2ヶ月間がとてつもなく長く感じたのも確かなのだけれど、あの頃のボクたちにはまだ明日という夢みたいなものがあって、それは就職についてもそうなんだけれど、期間従業員として半年働いて、失業保険を受給する間に就職できるだろう、なんて思っていた頃だったので、まだ確かに“甘い”未来はあったのだけれど。
ボクにとっての失業ってのいうのは、何も悲しいものでもなくて、やっと自分らしく生きることが出来るかなあ、なんて少しだけ楽しいものでもあったし、明日というのがハッキリと見えていた頃だったんだ。そしてなによりも、そこまでを短時間にこなしてきた自分への自信が、まだまだ残っていた頃だったように思う。
だから、独りぼっちだったとしても、そんなに悲しくも寂しくもないひとりのゴールデンウィークだったんだ。パソコンもカメラも持っていってなかったのだけれど、ボクには今よりももっとハッキリと明日を見ることが出来たし、見えている方向へと時間を過せばいいだけのような、そんな簡単な毎日だったように思う。まだトヨタに来てひと月も過ぎていなかったということもあったのだろうけれど。

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