緑が浜の桜並木

緑が浜は、トヨタ自動車田原工場がある場所です。豊橋方面から三河湾を渡って右折すると、直線道路があるのですが、右側がトヨタ自動車、左側には緑が浜公園があって、道路と公園の間、川沿いに桜並木があります。まだまだ樹齢が若いのですが、今が見ごろ、今週末にかけて散ってしまうような感じ。これから数年、数十年後にはきっと田原の名所になるのだろうと、思います。

今日はあまりにもむかついたので「おい、言っていいことと悪いことがあるぞ、理屈で分かっていても身体が動かないから仕方ないだろ、『わざとですか』とかよく言えるな」と、ボクの先生に言いました。「お前みたいに最初から完璧には出来ね~んだよ」とも言って、少しは気分がスッキリしました。別に辞めても痛くも痒くもないんだよ、こんな自動車工場なんかよ~。っけ。期間工が期間工に教えるのも、調子こくヤツがいるから困ったもんだよ。半年しかキャリアなくて「分かりましたか?」とか何様のつもりだ、お前だよ。
田原は風が強いので、蔵王山の桜も(あれは山桜なので葉と花が同時に育つので、ソメイヨシノとかのように花だけが枯れ木に咲くというものではないのですね)満開になる前に、花びらがどこかへ持っていかれるような…。
結局、今年は桜の写真も写しませんでした。明日、もしかしたら…。散った花びらも残さず運んでしまうのも、田原の風です。
「永遠」のコメントを読みながら考えています。
永遠
「トヨタ期間従業員であることの幸せ」というのは、好きなトヨタ車を造れるということなのでしょうね。ボクも前回は田原工場を希望しての赴任でしたが、レクサスが好きという理由ではなくて、またトヨタ車が好きという理由でもなくて、やはり収入的なことを第一に考えました。田原を希望したのは、あの砂漠のような街、豊田が嫌いだったからだろうと、思っています。それにSくんもいたので、なにか安心感みたいなものはありました。
確かに、作業をしていく中で「レクサスを造るということにたいして喜びを感じよう」なんて思っていたし、そのようなことも書いたと思います。それは、そう思うことが製造業には大切なことだと考えていたからです。吉胡寮6棟住人さんやブルースさんが言うように「喜び」を感じること、愛情を注ぐことは、何よりも必要なことかもしれません。
ただ、多くの場合は、トヨタ車よりも大切なものがあって、それは家族だったり恋人だったり、そして自分自身だったりするのでしょう。要するに労働そのものへの喜びよりも、対価としての給料から得られる喜びのほうを重要視しているということです。そのためにはトヨタだろうが織機だろうが、デンソーだろうが「いい」ということなのです。
そしてトヨタ車や車を造ることが好きであっても、ライン作業中にそのことを考える余裕がないという人も多いでしょうね。ボクはずっとそんな状態でした。そしてラインに乗った瞬間、その愛しいトヨタ車から追いかけまわされるのです。ストーカーのように。その愛情もすこしずつさめていき、最後には嫌悪するようになる場合もあります。トヨタで働いてトヨタ車が嫌いになったという人も多いのも確かですよね。

仕事に、誇りと楽しさを持っていても、いつかは限界が来るのでしょうか?最近は年令のことばかり考えています。できれば生涯現役でいたい……
ラインマンには無理な夢でしょうね。

ブルースさんの言う「限界」とは働ける限界のことでしょうが、ボクはふと「トヨタを愛せる限界」というのを考えたのです。その限界も来るのではないかと。
それに「トヨタ愛」ってのは、なにもトヨタ自動車や豊田家、張会長や渡辺社長への愛ではなくて車種別の愛情みたいなものなのでしょうか?それとも組や自分の工程への愛でしょうか。
実は、愛社精神というのは人への愛情に代替するというのが常套手段で、それが創業家を社長にするとか、カリスマ的人物を社長にする、各部署内での結束や団結なんてのも、そのひとつで、GLやEXに尊敬できるような人を置くことが「トヨタ愛」を高める最良の方法なのでしょう。
#工場長や取締役(工場長もですが)の工程視察、それに対する4Sなんてのは、実はコレですね。
そう考えると、どうも違った意味ってのが浮かんできて、例えば宗教とか全体主義とか北朝鮮とか…。
北斗星さんのコメントのように「車がキライ」でも何か楽しみを仕事に見出していくということも大切なのかもしれませんね。その場合は愛社精神ではなくて自己愛なのかもしれませんね。
自動車工場は、そこで働く人たちは、えっと、やっぱり「桜も終わりだなあ~」なんて、ほっとタイムの時にちょっと考えるぐらいの、ま、なんていうか、そんなカンジがあったほうが、良い車も造れるのではないかと…思うのは間違いだろうか?
#「あ、ばらけた文章をそんな強引にまとめて」なんてのはなしで。てか、眠い。

10件のコメント

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    ↑そうやって自分を追い込んだ結果のうつ→自殺って、けっこうあるかと思うのですが・・。
    誰でも自分が調子がいい時は人の苦しみに鈍感になるものなんですかね。
    でも、あんまり考え込まないでくださいね!
    辛い気分の時に考えても正解は見つからないものみたいですよ~。
    ヒデチンさんがおっしゃってたように、キューピー&釣りってのもいいですね!^^
    とにかく少し、意識して思考の焦点を逸らしてみませんか?(^o^)/

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    追記
    限界が来るだとか、わざとやってるのかとキレたり…多分「賭けているモノ」や「守るモノ」がないからだと思う。
    それは「自分自身の夢の実現」だったり、「家族」だったり、「恋人」だったり…。
    仕事に限界来ました。辞めました。
    しかしそういうことをすれば、家族や恋人に累が及ぶし、自分自身の目標も頓挫する。
    それが判っているから辞めないし、体調が少し悪くなっても出勤する。
    要はモチベーションよりも何か賭けるモノがあるかないかによって、限界が上下するのではないかと思う。
    自分自身も目標がないと腐ってしまうな。

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    限界ですか…。
    ボクの場合、限界が来そうになったら、創意工夫をしますね。
    というか、うちの組では半強制的に創意工夫のレポートを提出させられているんですよ。
    毎日、後工程(検査)から不具合を指摘されない日はない位よくいわれますが、創意工夫のネタに出来るチャンスだと捉えて悲観的にはなりません。
    だから、毎日が創意工夫といった感じですね。

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    夜勤の仮眠時間を利用して書き込みしてます
    ライン作業で造る物に対する愛着はいつか限界がくるんですよ。
    最初の感動が数年で半分以下になり、その後それをどう持続させるかで、その職場を続けるかどうかが決まる。
    そんな人達を何人も見てきました。(私もその一人ですが)
    仕事をする以上はきちんとした商品を出さなければならない、しかしそのモチベーションが下がる時は自分の大切な物、家族や趣味の為の『糧』としてのサラリーを得る『手段』としての
    『仕事』としてモチベーションを上げていく。それが出来ない人は私も含めて・・・・・・・その現場を去る事を選ぶんですよ。
    よくやりがいのある仕事として福祉が上げられます。
    でもその実態は過酷そのもの、勤続10年選手で手取り月20万あるかないかの給与に、サービス残業、人の安全と命を預かる責務。
    いつしかやりがいが義務になり責務となって、過剰労働と共に職員にのしかかる。そして燃え尽きて辞めて行く・・・・・・
    いわゆるバーンアウト症候群がこの業界には多いんです。
    それに今の競争社会が拍車をかけている。競争社会自体を否定しませんが、健全な競争とは言い難いこの現状とシステムがさらにグローバリゼーションの名の下で進むのは、ますます仕事に対するやりがいを奪うんじゃにかと危惧してます。

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    トヨタ車が好きだからと言って、即それが車造りには繋がるとは思わないナ。僕もトヨタの期間工として10ヶ月働いているけれど、『何故、トヨタ?』と訊かれたら。単に国産のクルマと謂えば〈HONDA〉や〈MAZDA〉、〈三菱〉ではなく〈TOYOTA〉で、愛車もトヨタだからと応えるくらいの理由。僕の車好きは、=ドライブであって、結して車好き=車造りでは無い。ましてや組み立てラインの仕事といったら、まさしくその名の通り〈組み立て〉。あの作業に短期間とはいえ《やりがい》を見い出すなんて、とても無理。
    そんな僕でも作業には社員以上の自覚をもって従事しています。今まで管理人さんも同様に頑張って来たことと思います。今回任された作業工程に関しては、それがどれくらい大変かは当事者でないので分かりませんが。ホント、くれぐれも無理はしませんように!
    「ワザとやってるの」とかいった奴。頑張ってる人に向かっての暴言、許せないネ。"そんな奴、百叩きだ。島送りだ。早く満了してどっか行っちまえ・・だ。" そんな馬鹿が一緒の仕事をしている。一緒に息をしているなんて。腹立たしいを通り越して悲しくなるネ!

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    自分のやりたい事の出来ない人生に意味はないですねー(*_*)でも、まぁ日本に産まれたという事は、それだけでかなり幸せな事なんですよねー(^o^)ホントーに車が好きなら、人に使われてないで、自分で自動車メーカー立ち上げれば良いのに..とか思いますが、どうなんでしょう?トヨタに限らないですが、どんなに頑張っても社長にはなれませんよねー(>_<)結局の所、起業して自分でやりたい事をやろうとしている人以外の大方の人にとって、仕事なんて収入を得る為の手段に過ぎないんですよねぇ(・o・)私はねーやりたいようにやれば良いと思いますよん(⌒~⌒)

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    ↑ホントホント!
    管理人さんの写真いろいろ見てますけど、
    辛い気持ちの時に撮られた写真も穏やかで優しい気持ちで撮られた(であろう)写真もそれぞれが固有の美しさを持ってますよ~。
    でもやっぱり幸せな気持ちで撮った桜の写真、見たいですな!^^

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    この時期、桜の木を見ていつも思う事…。
    桜が開花すると、大勢の人が花見に訪れますよね。「今が見頃」だなんて言って、持て囃されて、そして、葉桜になると段々見に来る人も少なくなっていく…。
    桜って、確かに満開の時は誰もが美しいと感じるのだけれど、それ以外の時期に桜を見に来る人は、ほんの僅かではないでしょうか?
    でも、強い陽射しを浴びながら葉を繁らせた力強い姿や、落葉の季節の物悲しさや、雪を纏った白と黒のコントラストの美しさ…実は、桜は365日美しいのです。
    「桜=人間」と置き換えてみると、どう思いますか?
    私は、例え花が咲いていない時期でも、貴重な時間だと思いたい。美しい時間だと思いたいのですよ。
    もし、桜を見に行かれるのなら、また美しい写真をブログで公開して下さい。楽しみに待ってます。

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    ボクもよく叱られる方ですが、だからといってレクサスやトヨタが嫌いになったことは一度もないな。
    トヨタは「品質」文化で大きくなった会社なんですよ。
    東洋経済新聞社の「レクサス」という本をときたま繰り返して読んでますが、その内容=先人たちが外車を越える為にどれだけの苦労と汗が費やされてきたか…その経緯を知れば、怒られるのは当然なのです。
    話変わりますが、自分自身昔からモノを造ることが好きな方で、テレビのニュースの画面上に自動車組み立ての映像が映るじゃないですか。
    ボクがそういうのに憧れていたのは確かで、だから期間工の身分ながら幸せを感じるんでしょう。
    ある作家が仰ってましたが、どんな仕事でも「やらされる」気持ちがあると続くことは難しいと。
    「受動的」ではなく「能動的」でなくてはいけないと。
    実際、うちの職場で今年から正社員になった「期間工あがり」の若者がいるけど、能動的に仕事をこなしてます。
    その子は車も大好きなんで今の仕事は天職なんでしょうね。
    自分自身はまだまだ其処まで到達してないが、頑張らねば。

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    田原さん、こんにちは。
    年若い同僚にあれこれ言われるのは本当に腹が立ちます。
    俺は食品工場のラインでアルバイトしている30代後半のおっさんですが、仕事柄主婦パートや高校出たばかりの若者ばかり、その中で自分の手が遅く彼らから叱責されたり冷笑されたりするのでストレスたまりまくりです。
    この弁当工場のライン作業、トヨタに比べると仕事は楽ですが、作っている商品がコンビニ弁当である為、大量生産大量消費の消耗品で、ものづくりの喜びというのはまるでなし、
    作業中は時間が矢のように早く過ぎ去っていくのを祈るのみの毎日です。
    給料も時給860円と少なく、満了金もないので、このまま40歳を迎えるのかと考えると暗澹たる思いにかられます。
    こういう仕事に対してどういう喜びを感じればいいのか・・と時々考えます。手の早い人、器用な人は初日からてきぱきと仕事をこなせます・・逆に不器用な人、動きがスローな人は何十年ラインにいても一向に上達できません。いわゆる「熟練」または「改善」ということが不必要な作業なのです。
    自分の努力によって、昨日よりも今日、今日よりも明日が仕事の出来ばえがよくなる、ということなら、俺も頑張ってこういう仕事にも小さな喜びを見出せると思うのです。
    ものづくりの喜びというのは「熟練の喜び」「上手になっていく喜び」なんじゃないのかな。
    田原さんの今の部署ではそういう喜びが見出せる部署でしょうか。

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