日本海へ(7)

はじめてトヨタに来たのが2004年の春でした。
その年の2月に退職して、そして引越し。計画もなくて、辞めてもなんかあるだろう、なんて根拠なき楽観をしていました。その「なんか」の前にとりあえずトヨタ自動車の期間従業員にでも行こうかと思って、引越し先で落ち着く間もなく豊田に住むことになったのです。トヨタ後に失業保険を受給しながら就職活動をして…なんて考えていたのです。
その2004年の夏も暑くて、高岡工場の正門のところにある温度計は一直の入場時にも30度を超えている日があって、二直の入場の時は40度近い日が多かったように憶えています。そして「熱中症」ということを何度も何度も耳にして、それでも何人も倒れる人がいて、工程内に飲料水持ち込み可、ライン停止時は冷水器まで行って水を飲んでも良い、なんてことになった夏でした。
9月になっても秋の気配がすることなく、あの高岡工場辺りの平地独特の熱気は、昼夜関係なく地上のある高さ、例えば3メートルの空間だけに、漂っているようでした。

ボクが、松本に初めて行ったのも、この年の9月、中央線を名古屋から乗ったのも初めてで、多治見とか中津川なんて聞きなれた地名に感動したものです。松本が目的地で、時間があれば新島々まで行って、そして上高地まで行けたらいいなあ、なんて思っていたのです。
台風前の天気は遠くアルプスの山々を遥拝することも出来なくて、その年の松本や中央線の旅ってのは、多治見駅で野宿したのと、松本駅前の松屋で牛丼食べて、そして松本駅構内の売店でお土産買っただけの思い出になったのです。
それでも、その年には、ボクは田中和風寮に住んでいて、いろいろな思いが、松本行きの電車の中や多治見駅前で、去来して、今でも、その深深とした夜のことや独りぼっちの時間なんかを傍に感じます。
去年は、松本を経由して大糸線で糸魚川へと向いました。「日本海へ」そしてそのタイトルで1~6まで記事を書きました。南小谷で出会った少女のことや、そうそう松本駅前の公園で野宿したこと、そして2004年と同じく松屋で牛丼…。

日本海へ
あ、そうそう、明日は日本海に行きます。
思い出というのは心の傷みたいなもので、本当は修復できないのだけれども、どこかで修復願望があって、その続きを見たいと思うのだろうし、出来ることならばもう一度なんてことも思っているんだろうと…。

去年は9月2日に行っているんですね。
トヨタに来ると松本に行っています。何をするってことではないのです。やはり、どこかで何かを、例えばちょっとだけ傷付いたものを治すとか癒すとか、そんなことを願っているのかもしれません。
なによりも、駅に寝たり野宿をしたりして、「あ、オレって、けっこうまだまだ生きる力があるじゃんね」なんて、あの時、例えばボンベイで野宿していた頃の「オレ」を確かめたいのだろうと思っているのかもしれません。
そしてそれはボクの昔からの「あの海の続き」なのだろうと思っています。「続き」そうそう、それはボクはボクなんだということの確認なのかもしれません。確認というか、「オレ、なんでも出来たじゃん」という自信の回復なのかもしれないし…。
旅をすると、その旅がチープならチープほど、何か違う部分は豊かになるのだろうと思っています。それが何なのかは、いくらでも答えられるのでしょうが、それは、ええ、ま、言葉にしたところで、つまんないものになるのだろうと、考えているのです。
週末は、3度目の松本、そして今度こそ「日本海へ」と思っています。

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