さよなら実習生

その痛み、手や手首、肩や腰の関節や筋肉の痛みは、消えてなくなくなるのでしょうね。そして痛んだという記憶だけが残る。それは記憶の修飾装置の部分を通過して、少しばかり、あるいは、かなり誇張されて蘇るのだろうと思っています。
そして、辛いことや、悲しいこと、楽しいことや、うれしかったこと、そしてその感情があった場所、工場のにおいや騒音、薄暗い休憩所、そこでの沈黙。バスの車窓からの風景や、寮での出来事、離れて暮らす家族や恋人のことを思い出した日々。
その痛みがスイッチとなって、そんな2カ月の日々が思い出されるのでしょうね。涙も少しだけ頬を伝わったかもしれないですね。枯れるほど泣けたのは、その痛みのせいではなくて、例えば少しばかりの挫折感とか、例えば少しばかり無くした自負のせいだったり…。そしてやはり孤独感だったのかもしれないと、思っています。
その痛みは、もう経験することは無いのでしょうね。もう2リットルのスポーツドリンクが足りないと思うことも、バンテリンがないと不安だという日々も、燃料のようにご飯を食べることも、服の汚れや、伸び過ぎたあごひげが気にならないことも、そしてボクたちと話すことも、そしてボクたちに教えてもらうこともないのでしょうね。
その痛みを、思い出すときに、たまにでいいから、そんな痛みから逃れられない日々を送っているボクたち期間工のことも思い出して、「ああ、そういえば」なんて、ボクと最後の日、最後のロッカールームで「またどこかでね」なんて話したことを、思い出してもらえれば…なんて考えているんだよ。
ディーラー実習ですね。また違う「痛み」が待ち受けているのでしょうね。
その痛みが、きっと、あなたの優しさや、豊かさや、慈悲深さや、思いやりの気持ちや、そんなものを全て含んだ愛に替わっていくのだろうと思います。
じゃあ、また、どこかで…。

手首の傷は癒えないけれど
心の痛みは
ボクが癒してあげる優しさで
キミのためなら
シグナル「二十歳のめぐりあい」

3件のコメント

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    こんにちは
    >蘭さんへ
    えっと、その頃の方なのかなあ。ま、それはさておいて、確かにあの頃の(その頃の)フォークソングってのは、今聞いてもなんだか良いですよね。
    とんぼちゃんとか知ってますか。
    「ひなげし」とか…。ボクの姉が聞いてましたよ。さだまさしも、グレープだった頃とか…。
    切ない、どうしようもない、歌が多かったですよね。別れってのが絶対みたいな感じで…。今は、さよならも、そして、プロポーズまでメールだったりするから…。別れても、どこかで、まだ繋がっているような感じさえするのでしょうね。
    「優しさで癒す」なんて、どんなんだろうなあ。
    >dさんへ
    たぶん、かなりの人数になったのだろうと思います。第二弾の人たちは、もう来ていたり、これからというところもあったりらしいですよ。
    ま、実習生たちにすれば「やっと終わったよ」と二ヶ月を振り返っているのでしょうが…。
    二ヶ月なんて、やっと作業を憶えたという時期かな。でも、ま、貴重な体験だっただろうと。少しかわいそうだなあ、なんて感じたこともありました。

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    こんばんは、お久しぶりです。
    今日の朝から寮に引っ越し業者のトラックが2、3台来てて、なんだろう?と思ってたら今日の記事を目にし、研修終わりの転寮なのかなぁ?と思いました。

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    こんばんは。
    シグナル懐かしいです。
    「22才の別れ」風、「いちご白書をもう一度」バンバンなど…思い出しました。不意に耳にするとなんだか胸キュン状態に…。
    その頃の状況が蘇ってきたりしてね。

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