日本海へ(12)

そう言えば、日本海。
あの高山のリバーサイドホテルの硬いベンチの一夜から、そして高山線全線開通の日から、一週間。
日本海というよりも敦賀湾、そこに辿り着くことが出来た夕方。ボクは帰りの電車の時刻なんてのを少しだけ気にしながら、海を見ていたんだ。
海の匂い、というのは、海水の匂いというのではなくて、岸や砂浜に打ち上げられたもの達の匂い、だと思う。例えば腐った海草とか流木、釣り上げられた魚とか打ち捨てられた内臓とか、漁船の重油とかオイルとか、それらが混ざり合った匂い、それが海の匂い、だと思う。
敦賀の海は、そんな生きている海の匂いがした。
例えば田原の海、田原寮のある浦地区は海に近いのだけれど、海の匂い、どれどころか気配さえしない。死んでいるのかというと、そうではなくて、密度の問題なのだろうと思ったり。漂着する場所が少なかったり、水揚げする市場なんてのがなかったり、それが原因だと、思っている。
それとも、風車が匂いを攪拌しているのか、あるいは、風の街、強い風が海の匂いを遠くに飛ばしているのか、なんてことも考えたり。
敦賀の海が見える場所まで来たら、ちょうどMちゃんから電話。満了後に豊橋に住むということなんかを20分ほど聞く。その間も見え隠れしていた夕陽は沈んで行く。ボクはきらめききみなと館から港大橋のほうへと歩いていた。
ちょうど港大橋のあたりで夕陽が見える。曇り空。雲の合間から見える夕陽。少しついているなんて考えていたんだ。こんな天気の日に、それもジャストタイムで夕陽を見ることができるなんて、きっと「ついている」に決まってる、なんて考えていたんだ。
その港大橋の下から何枚か写して、そのまま夕陽に近づくように市場の方へと歩いた。まだ沈んではいない夕陽は、姿を出すことはなかった。雲の間からは、その夕陽の光が漏れていたけれど。
ボクが思い続けていた日本海とは違う海がそこにあって、それはあまりにも穏やかな海で。それでもボクは市場のあたりで、魚釣りや渡り蟹をとる親子を見ながら、「う~ん、日本海の匂いがするじゃんね、誰がなんといっても、日本海だもんね」なんて確認しながらも「敦賀湾ってのは、きっと、大字日本海字敦賀湾みたいなもんだしさあ」なんて、少しだけ、ほんの少しだけ、なにか釈然としないというか、そんな気持ちを、コトバでこれまた誤魔化していたのだ。
そうだ、日本海に、また行こう。

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