日本海へ(9)敦賀に氷川きよしがやって来た日に

NHKの「のど自慢」を見てました。今日は福井県敦賀市、ゲストは氷川きよし。懐かしい。昨日のことなのに…。
のど自慢の会場、敦賀市民文化センターというのは、敦賀港の近く、気比神社、気比の松原まですぐ。昨日センターの前での行列は、のど自慢、それも、多分、氷川きよしを最前列近くで見るためのファンの人たちのものだったのでしょうね。
ボクはといえば、昨日の夕方、17時前に敦賀駅に着きました。大急ぎで日本海へ、というか、敦賀湾、外海ではないので穏やか過ぎるだろう海を想像はしていたのですが、まったくその通りで、湾、たっぷりと海の滋養を含んだ敦賀の海が、チラリチラリと見えてくる夕方だったのです。
日本海、荒れた海、波がしぶく、そして白い波頭が飛び散る…寒々とした風景、それがドド~ンと一面に拡がる、ま、季節は冬。「あなた死んでも良いですか?」なんて唄がツーっと頭に流れる、海も空も色をなくしたモノトーン、というよりも、鉛色で繋がっていて、雪と波の白さだけが、唯一の、そして絶対の色。
ボクが初めて見た、中3の時に見た日本海は、それに近い感じでした。米子駅近くの布団部屋で泊まったあの日に。

同じ九州から来ていたとしても、そして同じような境遇だとしても、そしていつかは九州に帰る者同士だとしても、話すこともないんだけれどね。こういうのを一期一会というのだろうなあ。
昨夜、戻ってきました。「戻る」少し違和感があるのですが、米原とかで「ああ~、早く帰りたい」なんて思ったのですよ。精神的にというよりも、とにかく横になりたかったのでしょうね。寄港する船の船員たちは、きっとそんな感じで陸を眺めるのでしょうね。「そんな感じ」なんて分かったふうなことを言うのはいけないことなのだと思うのですが、そんなことを考えました。
なにかに繋がれている安心感みたいなものがあって、きっと、それは海と船の関係だったり、世間と人の関係だったり、会社と従業員の関係だったりするのだろうと考えたりしました。アンカーを打つとか、舫うとか、係留するとか、どこかで不自由さの方向にあるものってのは、実は安心だとボクたちは知っていて、実は知らないふりをしているのかもしれないですね。
ライン作業なんてのは、もうどうしようもなく身動きの取れない時間の連続で、あのタクトタイムという単位には一瞬の作業外のことの隙間もなくて(そのように想定されていますからね)不自由そのものなのですが、いざラインに立つと、その時間や距離なんて空間にいる安心感がありますよね。休憩時間よりも作業中のほうが安心する時間だったり、ほっとする時間だったり…。
というよりも、ボクたちは何かに繋がれていないと生きていけないのだろうと考えています。旅をすると言っても、ええ、ま、パスポートなんてものが必要だったりして、それは日本国民であるという証明だし、それがボクたちの証明だし繋がれているのもだろうし。
期間工、なんてのが、どうも不安でしかたないのは、そうそう、その証明みたいなものが、期間でしかないってことなんだろうと。期間日本人とか、期間人間とか(今井Kさんのキカーンみたいだけれど:)…。
船はどこに戻りますか?それとも寄港を繰り返すだけなのでしょうか。
敦賀の港には、九州からの船も寄港していて、それがなんだかとても悲しく思えて…。日本海の夕陽なんてのは、あまりにも日常的な出来事で、それを「綺麗だね」なんてボクが喜んでいるのは、とても悪いことなんじゃないかと思ったのですよ。きっと。
悲しみの素、なのかもしれないから…。

2件のコメント

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    衣…父さん、こんばんは。
    ええ、ま、旅行というか、なんというか…。海辺はそうですねえ、空気が違いますよね。田原も海辺なのですが、敦賀とはまた少し違っていて。
    電車に乗っているのも楽しいものです。
    知合いが来ても、工場が違ったり寮が違うと、それと、やっぱり直が違うと、会う機会も無かったりしますよね。
    一直前の日曜日は、どうもいけませんよねえ。って、二直の場合は、余裕なんですが…。

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    今晩は!旅行してたんですね!海辺はやはり良いですよね!自分も赴任してから遠出はしてませんけど今度田原の姫島とか風力発電の大プロペラとか見に行こうかと…ふらっとして帰りに一杯なんて好きなんすが何せ初給与もまだなもんで…あそれと衣浦で御世話になってたHさんが17日再赴任です。シニア終了の方なんでまた衣浦みたいな!仲良かったリフトマンのU君は月内満了で地元の紡織さんの試験受けるとか…秋になりまた皆始動開始した様です。あぁ1直です。

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