そう言えばトヨタの社内報は「creation」だったね

自動車工場の現場にいて、ものを造っているという実感はありますか?
毎日何百台もの自動車を造って(正確には自動車の一部を造ったり組み立てたり建て付けたり)いますが、「ものづくり」とは少し違った感覚がしているのではないかと思っていますが?
「ものづくり」というのは、クリエーティブな仕事で、例えば工芸や芸術にみられる個性とか感性とかの、個々人の独創性の繰り広げられる世界だ、と思います。が、しかし、そのものづくりの現場では、完成品というモデルをトレースする作業に汲々としていて、作り手の意思なんてものは出来るだけ排除されることが、その正しい「ものづくり」だというように思われてきた、というか、構造化されたのだと考えています。
『日本は、アメリカとは逆に、「均質性が異常に高い」という事実を国力の培養基にしてきた。』と内田樹先生がおっしゃられるように、大量生産によるものづくりにおいて最重要とされる商品の均質化が、日本人の「異常に高い」体質と、それを恐らく美徳とする国民性にベストマッチしたのだと思います。
それは脱個性と言っても良いと思います。
物も人も個性をなくすことを求めてきたのかもしれませんね。それが最高品質だと考えられてきたのでしょう。
ものづくりの現場にいて、ものを造っている実感がないということは、生きているのに生きている実感がしない、というようなものだと思います。そこでトヨタが考えついたのが「創意工夫」というクリエイティブマインドなのでしょう。
ものづくりという現場では、製品に対しての創意は必要なくて、モデルとの均質化だけを求められる。その「ものまね」という「ものづくり」に似て非なるものにたいしてのガス抜きが「創意工夫」なのだと思っています。「ものづくり」の疑似体験と言ってもいいかもしれませんが…。
いろいろなことの削減(コストや作業などの)がその主たる目的だと思われがちですが、ボクはどうも「ものづくり」体験の方が強い意味があるのではないかと考えています。いろいろな意味はあるにしてもです。
戻って、均質なものづくりというのは、グローバリゼーションには必要不可欠のもので、これまでの単一の工場やライン上での均質化だけではなくて、世界中のどの工場でも同じものをつくるということが、従業員の創意なんてクリエーティブなことよりも重要視されるのでしょうね。企業による植民地化なんてことなんだろうと、ま、深くではないのだけれど考えています。
などと考えると、経営者側はものづくりの現場にいる人たちについても、できるだけ均質化を望んでいて、ま、それが標準作業書であったりするのだけれど、いつでもどこでもだれでも同じことが出来ることが「ものづくり」だと考えているのかもしれませんね。
均質化というのは、なにもマインドだけの話ではなくて、というか、昨日の続きなのですが「衣食足りて礼節を知る」という、衣を揃えることから始めるのでしょう。そうそう、制服とか、帽子とかね。
そして、まずは経営者から見た従業員の均質化というか等質化から、精神状態も均質化しようと試みるのは、なにもトヨタからじゃなくて、人類の人類たる所以だろうと考えていますが(そのことは深入りいせんが)、ボクたちも制服を着ると、それになりきってしまうというようなこともありますから、やはり衣は足りていないと、精神は足りるはずがないですしね。

これって良く、金銭面や待遇の事ばかり強調されがちですけど、案外見落とされがちなのが『心の余裕』なんじゃないかなと思うんです。

ボクも、そういうことだと思います。心の余裕というか、心構えというかね。
「衣食足りて栄辱を知る」。トヨタマンとしての誉れと辱め、名誉と恥辱を思えということで、まずは「身だしなみ」ということなのでしょう。
商品が売れる売れないは作業員の衣食でも礼節でもないでしょう。その充足・不足でもないでしょう。ただ、企業(経営サイドがですね)が求めているのは、実のところ均質化された、いや等質化されたライン工なのだろうと思っています。
そしてもうひとつ付け加えると、「創意工夫」と同じようにファッションを自由にさせているのは、個性というものがいったんラインに立つと不必要なものになる均質化ものづくりの現場では、それぐらいしかクリエーティブな作業はないのだから、ということなのかもしれません。
ということは、独創的なファッションの人は、まんまと釣られてしまっている、ってことなんだと思っています:)車の色は自由に創造できないけれど、自分の髪はどうにでも色付けできるしね。
年頭の挨拶での「身だしなみ」は、全体主義的な意味と、制服の持つ意味と、そしてその衣の後に続く精神論、例えば「オレたちはトヨタマンだぜ」というような等質化、なんていうか「一億総玉砕」なんてものに近い「23万人総火の玉大作戦なんだよ」、なんていう部長さんたちの、強いメッセージなんだろうとボクは感じたのです。
ん?どこかで見た風景?
そうそう、あれですよ。あれ。

4件のコメント

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    >田原服役因さんへ
    そうなんですか。今度から図書館で読むかなあ。ゆっくりと、そんでコピーなんかも出来るだろうし…。
    そいうですねえ、社員の方は豊橋の方が多いのかもしれないですね。
    >ぐるぐるさんへ
    そうですね。仕事は自分で楽しさを見つけるものだろうし・・・。なんの仕事でも、喜びみたいなものはあるでしょうからね。
    造るという喜びじゃなくても、どうやったら早く出来るかとか、どうやったら楽に出来るかとか、ま、創意工夫ってことになりますが…。
    積み重ねでしょうね。
    カイゼンのためのカイゼン、というところもありますが…。
    ま、それでも、それはムダだろう、なんてことは言わないで、全てを吸い上げる姿勢は、それに500円支払うことは、すごいなあ、と思います。
    NOというと、思考が萎縮するでしょうからね。おっしゃられる通り、柔軟だと思います。
    ま、大きなカイゼンはラインを止められる土日とか長期連休に行なうのでしょうが…。
    >愛ローレンさんへ
    ブログ拝見しました。
    トヨタ車体精巧は先日NHKテレビの「三河、出稼ぎ物語」で、初めてその企業を知ったのですが、偽装請負をしていたのですね。
    ま、そんな会社を放映するNHKもあれですが…。主題が出稼ぎだからだろうし、トヨタ関係だからだろうし、なんて考えたり。
    ボクたちも、何かあったらどこに相談すればいいのか分からない人も大勢いて、情報リテラシーという問題を含めて、も少しATUさんや愛労連さんに、前に出てもらいたいと思ったりもします。
    多くの人が知らないですからね。
    そういう意味では、こんなブログに書き込んでいただいたことに、感謝しています。
    ありがとうございました。

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    はじめて見ました。期間従業員の方の声を直接聞く機会が少ないので、とても参考になります。最近はやりのケイタイ小説ではないが、本にしてもいいくらいの内容ですね。
    私たちもトヨタ問題に取り組んでいます。最近では内野さんの事件がありましたし、その前はトヨタ車体精巧の偽装請負や豊田労基署の情報漏洩事件にも取り組みました。また昨年からはベトナム人研修生の支援をしています。
    また私たちのブログでも紹介させてもらいます

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    自分もライン工の単純作業はくだらんと思うのですが、その中にも楽しみや喜び、格好良いと感じる部分もあります。
    例えば作業遅れや作業待ちなど発生した際、神経フル稼働させ何事もなかったように立て直せると気持ち良いです。またなんらかの機械が故障した際、工場中のGLや定年過ぎのSX?が10人ぐらい集まって手作業でラインを維持し、その横で保全の人達が必死に修理にあたる姿はかっけえなと思います。ラインを止めるなという会社側からのプレッシャーはくだらないと思いますが。
    たった数か月この単純作業を繰り返すのかと絶望を感じた自分ですが本工の人は数十年繰り返すわけで、生産を落とさない=ラインを止めないことや、会社の無茶な増産要求などを必死で支えていくことに喜び・やりがいを見出していくものなのではないかと思っています。
    後、ことあるごとにもし事故、災害が発生した際は従業員側が悪いのだという洗脳教育などそういうトヨタの体質は嫌いですが、どんどん柔軟にライン・工程・作業をカイゼンさせていく様はやはり世界一の自動車工場だなぁと感心させられます。今の退屈過ぎるフレンドリーな作業は技術の進歩もあるかもしれんが長年の創意工夫の賜物でもあるんだろうなと。自分は大工場の作業なんかはもっと確立されたものというイメージがあったので
    ただQCや創意工夫はとっても形骸化しているなと感じます。悪い制度とは思わないのですが、これを活きたものとするには月1・2日ラインを止めて時間を取らないとならんかなと感じます。今のままやるには熱量を意見を引き出しまとめ形とする人の力量が要求され過ぎて形骸化されるのもしょうがないと思っています。まとまりない長文失礼

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    トヨタ社内報…
    なぜか田原市の図書館にもあるんですねぇ~
    やっぱトヨタあっての田原市。
    あ、トヨタ期間従業員あっての田原市ですかねぇ~

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