そして別離 そしてクリスマス
別れは、訪れる、必ず、いつか。
突然、なんてことではなくて、10分の1ミリ単位で少しずつ訪れる。
日常化されれてしまっては、局部麻痺してしまう感覚のようなもの。
痛みとか悲しみとかをそこに認識しているとしても果たしてそれは隔離された身体の一部でしかなく、ピクピクと蠢く細胞のあるいはその塊の肉片は全き赤の他人のものでしかなくて、麻酔が切れたその瞬間に、やっと己の一部だと感じられる覚醒直後のようなもの。喉の渇き。
ボクは殴られていた。
その湿気たアパートの部屋は2階にあって、少し硫黄の匂いのする、そしてオレンジ色のテーブルクロスがスノコを利用した手作りのテーブルの上に掛けられた、そういえば萩焼の急須があって、猫の絵がかかっていて、知り合いの坊主がくれた扇とか、絵描がくれたキリストの絵とか、その頃読んでいた本…、そしてボクたち3人は不自然な位置に存在していた。
ボクを殴っていたのは、女の亭主だった。
殴りながら女に言った。
「この男と幸せになれるのか」
なれるのか?
ボクは考えていた。
なれない。
と思った。
20歳という歳の差だった。
それがどういうことかはボクには分からなかったし、「愛」という言葉の前には意味のないことのように思えた。
「愛」だったのだろうか。それも今となってはどうも曖昧なものになってしまっているのだけれども、それでもボクたちはいつもキスして抱き合っていた。それは愛だったのだろう。そう定義しなければならないもの、のように感じていた。愛ということにさえしとけば、全ては許されると思っていたのだろうし。
何を思ったのか女はこう言った。
「生理なのに出来るわけないじゃない」
その現場にボクといる理由、探し出した答えがそれだった。
確かに生理だった。
亭主にしてみれば、女の不貞ということは「したか、しないか」のただ一点のみ、ということではないはずだったろうし、夜20歳年下の男の部屋にいるということ自体、それは許されないことだったに違いない。
生理ということは実に無意味な答えだったように思えたし、亭主も困った表情になった。
それでも、その答えは亭主の怒りを収めるのに少しは役立ったようで、困惑しながらも納得したのかもしれないと思う。そして「よく考えろ」と言った。それが亭主の答えだった。女は無罪放免になった、とボクは思った。いや執行猶予は一生付きまとったのだろううけれど、実刑は逃れたということだろう。
生理だったのだけれど、ボクたちはしていた。
それほどボクたちは愛し合っていた。
そう思っていた。
それでも「愛」は「幸せ」の前には少し無力だった。愛と幸せは、実は同義語だなんて思っていたし、愛ということにさえしとけば、たいがいのものは許されるようにも勘違いしていた。
愛と快感、幸せと金銭、なんてことを思っていた。いまもそうだ。
愛は終わる。それは圧倒的なことのように思う。
いや、全ての人のことを行っているわけじゃなんだよ。
ボクのこと。
女ひとりも幸せにしたことのない男のことなんだけれど…。
そして愛とか恋が何度か終わって、悲しみだけは残されていく。終わらないボクの心にね。
さてと、今日も眠れない夜なのだろうなあ。
>オーリーさんへ
そうでしたか。
きっとね、いろいろなことがあって期間工としての道を選んだ人が多くて、その中には別れや出会いということが理由の人もいるのだろうと。
幸せって、自分のことと相手のことって、なかなか一致しなかったりしますよね。そこが難しいのかな。
ありがとうございます。
>クリスマスは苦手さんへ
そうですね、クリスマスや正月、ボクなんてのは日曜日のスーパーなんかも嫌いかなあ。幸せが溢れていますもんね。家庭とかも。
イタリア村かあ。行きたいのですが、そこまでが遠い。再来週、あるいは正月前にでも行こうかなあ。でも、その時期だともっと人が多いかもしれないですね。それはそれで嫌だなあ。
>トウチュウさんへ
そうですよね。ま、なにがあっても、それでも人生は続くってことなんで、歩かなきゃ前に進まないし…。
>佐藤さんへ
ああ、水戸黄門の歌って「ああ人生に涙あり」ってタイトルだったのですね。
そうですね、名曲というか日本人の心の歌かもしれないですね。人生かあ、その目的とかも考えたりすると、一層難しい…。
>玲子さんへ
幸せは掴み取るものでしょうね。そうですよね、自由なんものも。
キスばかりして抱き合って、ああ、そうですよね、そんな感じって、学生みたいとかじゃなくて、恋愛みたいな感じだなあ。
いやらしさじゃなくて、そうすることで近くに感じられるというか…。ずっと一緒にいたい気持ちとか。
それって、いくつになってもあるのかもしれないですね。
「女性との思い出は、女性でしか消せないのです」かあ、う~ん、どんなことをしても消せないものってのもあるような…そんなことを考えているのだけれど……。
>稀さんへ
で、結婚すると、その繰り返しがなくなると思ったりするのだろうけれど、そうではないですしね。
比較ですか。そうですねえ、それは無いとは言えないのかもしれないですね、ほとんどの人に。
「昔はいろんなことをしました」なんて言われると、すごく色々想像しているのですが…。ちょっとHなことも…、ことも、ことも。
えっと、このことがあって、2、3度電話したかな、そしてボクはその街を出たから、そしてこの国も出たから、音信不通です。住所は変わっていないと思うのですが、話すこともないし、そうすることはいけないことでしょうし…。
>kemamiさんへ
負の感情、その中でも憎しみとかは結局自分を傷つけるものにもなるしね。
すこし年齢を重ねると、独占とか嫉妬とかの感情が薄くなって行って、それはきっと、その気持ちが憎しみに変わるって気付いているからなんだろうと思ったりしている。
最後の瞬間に凝縮されるんだろうね。
眠るのがかあ。そうだよなあ。一人でも、そんで現実かあ。
ああ、そうだそうだ、ってみょうに納得するなあ。そうだなあ、そうなんだよなあ。う~ん、良い言葉だねえ。座布団100枚やりたいよ。
って、眠ってなかったりするのだけれど…。
本当に全くその通りだよね。
>そして愛とか恋が何度か終わって、
>悲しみだけは残されていく。
>終わらないボクの心にね。
愛は知らないけれど、恋と呼ばれるようなものが終わると
負の感情だけが生々しく取り残される。
楽しい事もたくさんあったはずなのに、優しい気持ちも
笑顔もみんなどこかへ蒸発して、残ってるのは
やりきれないような想いばかり。
しかも、終わらない心の中に澱になって落ちてく。
眠るのが一番よね。
一人でも眠れる。眠ることが何よりの現実。
恋愛って何だろう?
今まで別れと出会いを繰り返し悲しみや喜びをともにしたかと思うと捨てたり捨てられたり・・・・・・・・。
人間誰しも完璧ではなくて・・・この人のここは良いけど、ここは前の人のほうが良いな・・・なんて勝手なことを思ったり・・現実逃避ですよ・・心の隙間に入り込んできてひっかき回すだけの恋というか・・病気?
昔はいろんなことをしました・・一途な気持ちはなくなりましたが冷静に自分位置を観察できるようになりました。
その女性とは別れたのですか?音信不通かな?
女性との思い出は、女性でしか消せないのです。
しかも、学生みたいな恋愛。キスばかりして、抱き合って。
また、キスばかりして、抱き合って・・・。
それしか見えて無い時の、恋愛の甘い思い出ほど
残るものはないですよね。
思い出・・・・。
これから、
大切にしていきたい。って思える女性と恋愛して幸せに
なってください。
思い出は、淡くなっていることでしょう。
幸せは、やってくるものではなくて自分で掴み取るものですよ。
ああ人生に涙あり
(一)
人生らくありゃ 苦もあるさ
涙のあとには 虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道を ふみしめて
(二)
人生勇気が 必要だ
くじけりゃ誰かが 先に行く
あとから来たのに 追い越され
泣くのがいやなら さあ歩け
(三)
人生涙と 笑顔あり
そんなに悪くは ないもんだ
なんにもしないで 生きるより
何かを求めて 生きようよ
なんとも言い難いですな・・・。
一つ言えるのは、たとえ、どんなに辛い事でも受け止めて、生きていくしかない。人生はつらいよ・・・。
クリスマスとかお正月は嫌いでした。
世間が楽しそうで、孤独が身にしみます。
そんな自分も今日は名古屋港のイタリア村のイルミネーションの撮影に行きました。
カップルだらけだったら惨めだと思っていましたが、同好の
士が案外多く皆彼方此方で撮影しているので気楽でした。
管理人さんも如何ですか。
いつかここに彼女と二人で来れるといいのですが、彼女いない歴が自分の年齢と同じ自分にはいつになることやら。
その為に自分はここ(田原)へ来たようなもので…
自分を裏切った女の居る場所には正直、居たくなかった。
作業で疲れ果て、何も考えられなくなれば良い、痛みで思考まで麻痺してしまえば楽になる。
そんな事ばかりを考えて来たのに、いざ人間というものは苦しくなると逃避したくなるものなのですね。
自分には子供も居りますが、まだ誰一人とて幸せにはしていないのだと思っています。
これを見る頃には今週の仕事も終り、部屋でくつろいでいらっしゃる事でしょう。
本当にご苦労さまでした。