トヨタへ(2)

6月8日、日曜日14時に「トヨタへ」というエントリーを書いていたのだけれど、その少し前にあの秋葉原の無差別殺人事件が起きていて、ボクは、実は少し自分自身が怖くなったのも確かなんだ。

トヨタへ
そしてこれでやっと、本当のトヨタ期間工のことを書けるかもしれない。それでも明日から、少し忙しい生活が待っている。何かが見えて来たのかもしれない、そうすると何かを捨てられる、と思う。

この「これでやっと」という部分は、実はかなり開き直っていて「本当のトヨタ期間工のこと」というのは、「本当のトヨタのこと」を書くぞ、という挑発みたいな、あるいは自暴自棄みたいなものだった。
なにかしらの「絶望感」みたいなものを感じる日曜日、それは疎外感や孤独感なんてものがまとめて心の中を覆ってしまうような時間。月曜日が一直はじめだと尚更、なにか嫌な感じの午後…。その記憶が感触として蘇る…。
ボクは、なんとか精神のバランスを保っていたのだけれど、そして今も失業中ではあるのだけれど、まだ少しだけ未来に対しての希望みたいなものもあって、そしてこうしてなんらかの形で世間と繋がっているから、感情の起伏は激しいとしても、今もバランスを保っている。
それでも、時として、ボクがボクでなくなるような瞬間も、きっとそれは誰もが感じたことがあるのかもしれないのだけれど、そんな少し狂ったボクが現出することもある。
なんてことを考えたり、そしてそれはやはり「孤独」とか「疎外感」とか「絶望」なんていうキーワードと共に、ボクの眼球の裏あたりに見え隠れする。ちょうど点滅するネオンのように、薄暗く青白く…。

けどさ、赤紙来なくてもトヨタの期間工してたんだったら他の期間工でも良さそうな物では?
* 通りすがる * 2008/06/11 12:13 AM *

違うのだよ、仕事はどこでもいいのだよ。
問題は、ボクがこの「トヨタへ」という「トヨタへ(行く)」ということではなく、「トヨタへ(のメッセージ)」として書いた一文は、どんなにまじめに働いても、派遣社員や期間工なんてのは、やはり生産調整のための道具だったのか、ということを言いたかったのだよ。。
その「赤紙」だけで判断される人生だってことなのだよ。
その判断ってのは、ただただ車をどれだけ作るかという数の理論でだけしかなくて、その増減だけがボクたちが必要とされる判断基準だとしたら、何と悲しいことなのか、と思ったのだよ。
それが期間工だとは分かっているのだよ。分かっているのだけれど、それじゃいくら頑張っても無駄な努力じゃないか、と思うのだよ。努力が報われないシステム、それが非正規雇用の問題点だということなのだよ。使い捨てられるっていう感じは、やはり絶望感に繋がるのだよ。
「道具」ということに、やっと気づいたということ、なのかもしれない。分かっていたつもりだけれど、分かっていなかったのだろうね。「真面目にやったら報われる」なんてことを、まだどこかで信じていたのだろうと思う。きっと「うまくやったら報われる」ってことなんだろうね、きっと。

1件のコメント

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