葉桜の頃
サクラの公園は、打ち捨てられ表紙がめくれ上がった雑誌のようで、葉桜はたっぷりと水分を吸ってしまっていては、少し薄汚くも、みえる。誰も見向きはしない。それは幻想のようなもので、あの冬枯れた風景も、そして今の新緑もさほどたいした差はなくて、それは両極にあるのもではなくて、あの満開の日々だけが、ある意味実体のあるものとしてそこに存在しているように、思った。
そのサクラの公園は、墓地の中にあって、まだ新しい卒塔婆の上に散りゆく花びらが、みょうに艶かしく見えたりもした。サクラが散ったとしても、ボクは毎日そこに行っては、辛抱強く残ったサクラが地面に落ちるまでを見ていたりしているのだけれど、それがボクの日常、というか、1日だとしたら、やっぱり生と死なんてのは、かなり隣接した位置にあっては、その境界線は、サクラの届く位置ほどにしかないのだろうと、思っていた。
もう一週間が過ぎた。あの福知山の夜から。
初めての街は、どこに行ったとしても、少し空気が重く感じられる。あの日も浜坂からは夜行列車の旅になったので、そのことが一層空気を、そしてなにもかもを重くさせたのだろうと思う。
あの陸橋の街も、そして城之崎も、ただ通り過ぎただけで、その重い感じと、雨で湿った感じと、そして街灯の明かりだけが、記憶に点在する。思い出していると、やっぱり街灯の流れてゆく風景と、ガード下の冷たい地面の感触が、記憶装置のかなりの量を占めていて、津山城の満開のサクラの、あの華やいだ感じさえも、覆い隠そうとする。
少しずつ少しずつ季節がゆくのだけれど、ここに留まっていては、ただ眺めているボクは、そのサクラの公園にあっても、そしてこの夜の中にあっても、そんな過ぎ去った時間のことだけを思い出しては、悲しみばかりを増やしては、明日のことなんかは考えられないでいるんだよ。
4月16日のいちにち
07:30 起床、コーヒー
08:00 電話とかテレビとか
09:00 洗濯、風呂(前日お腹が痛くてそのまま寝たからね)
09:30 洗濯干したり、水やりしたり
10:00 ブランチ(焼きそば、おから、キャベツ、チンゲン菜、卵、もやし入り)
10:30 散歩、買物(何も買わず)
12:30 帰宅
13:00 電話とかネットとか、少し寝た
14:00 買物(ピーマン、おから、ガスボンベ)、水汲み
16:30 帰宅、夕食準備(レトルトカレー、もやし、チンゲン菜、大根、鯵入り味噌汁)
17:30 少し寝た
18:30 夏みかん、ヨーグルトを食べた
19:00 ニュースとかテレビとか、ゴロゴロ
20:30 また少し寝た
21:30 ネットとかメールとかテレビとか
25:00 今。もう寝ます。
稀さん、こんばんは。
頑張っているかあ、ま、頑張っているかなあ。
大阪の通り抜けってのは、あれは種類が違うのですかね。
近くの公園も、その八重が頑張ってる。
果樹は今からですね。
庭があれば植えるのだけれどねえ。実家には梅とビワ、みかんもありました。
先週も週末に雨で、今週もねえ。
ま、失業中の身には雨のほうが嬉しかったりもするのだけれど…。
こんばんは。
今は八重が頑張っていますよ。
さくらんぼうもそろそろ・・・。
田舎に居た時はよく食べました・・。
ユスラうめ
が終わると
びわ
・・・・・。
たべてばかり。
雨の日は関節が痛くて・・
今日は駄目な日でしたが
まあ・・明日はいい事あるかな・・
とか・・楽観的。
とにかく早く晴れてほしい。
narabonchiさん、こんばんは。
奈良の方なんでしょうか?
昔に縋るですかあ、そうですねえ、感覚はいつもそんな感じですよね。
あの味、とか、あの匂いとか、あの音、なんて「あの」ってのを求めるかなあ。
呼び起こしているのかもしれないですね。疲れた時とか、どうにもならないような時には、その昔があるってことが大切なんでしょうけれど、ね。
はじめまして。いつもお邪魔させて貰ってます。
気が付くと、過去ばかり(あんまり思い出したくもない記憶)にたどり着いてしまいます。
でも、匂いとか音楽、寒さ暑さなど視覚以外の感覚で意外な思い出が呼び起こされたり….
っていうか、もう昔にしか縋れないのかな~