サクラ drops
努力しなかったんじゃなくて、努力したとしても、少しの差異で結果に大きな違いが出る、というのが「結果の平等」という「悪平等」なのでしょうね。その結果の平等、あるいは機会の平等というのは、あくまでもみんなが「平等」である/あったということを前提としていますから、例えば少し目つきが悪い、とか、例えば人前でうまく話せない、要領が悪いなんてことで括られる行動、そんなどうでもいいような差異が、結果として大きな差異になる、というのがどうも実態のようです。
メリトクラシーなんていう考え方は、社会的な問題とかあるいは疾病なんてことを全て隠蔽してしまう「罠」が潜んでいるように思います。そしてそれが15歳とか18歳というはやい時期に決定してしまうということにも問題があると思います。そしてそのレールは生まれた時点で用意されていて、乗り遅れた子どもはそこから機会の不平等に苦しまなければならないのだろうと考えています。
Nothig like a sun(太陽と似て非なる物) | レールに乗れなかった人間は(再チャレンジの許されない国、日本)
『結果の平等』は悪平等に繋がりかねない
しかし
『機会の平等』は均等に等しくすべての国民与えられるべきだ
たとえ個人が社会からなんらかの形でドロップアウトしたとしても
その人間が這い上がろうとする時に
蜘蛛の糸のようなかぼそい物ではなく
頑丈なロープを何本も用意するだけで
『再チャレンジ』がしやすい状況に少しでも改善されるのではないだろうか
とボクも思います。そしてそれは、みなさんが普通考える努力ではなくて、努力してもどうしようもないことも含むってことを、考えなければならないだろうと思っています。(いろいろな意味で二極化できないこともあるだろうしね)
そう言えば18きっぷ。10日が使用期限ですね。まだ3日分(も)残っていて、今日から毎日使わないと…。ということで今から旅に出ようと思っています。本当は始発電車に乗って行きたかったのですが、雨。
もうサクラも散ってしまったのでしょうね。
#「SAKURA ドロップス」じゃないからね。
で、4月7日のいちにち
06:00 起床 コーヒー飲んでゴロゴロ
08:00 電話とかメールとかネットとか
10:00 ブランチ 野菜ラーメン
14:00 ホッチキスが来た
15:00 帰る ネットとか
17:30 夕食準備(大根、タマネギ、豆腐入り味噌汁、プロテイン)
18:00 夕食
19:00 ゴロゴロ テレビとか
23:00 寝た
03:00 起床 始発に乗ろうかと迷うけど寝る
05:30 起床
>もっさんさんへ
う~んと、「閉塞感と厭世観」、そして絶望感は蔓延していると思います。そして自己責任論まで出るにいたっては、その細い糸まで自分で用意しろ、なんていう知識人、財界人もいて。弱者は社会が生み出しているというのは考えられない人もいて、なんて思っています。
ええ、一度書きました。その戦争待望論。それも、ま、おっしゃる通り、逆転できるのはそれしかないってことで。
銀行強盗とか凶悪犯が増加も考えられるってことも。
楽したいとか遊びたいとかだけで、期間工をやれるってことはなくて、みんな仕事に対してはかなり一生懸命なのだけれど、それが認められるってことも、ほとんどない状態ですからね。お金だけでもやれる仕事でもないしね。
何かを求めている人が多いのだけれど…。
>ぐるりんさんへ
そういう考え方もあるでしょうね。そのうち日本人米兵もあるのかもしれないですね。
アメリカの軍隊は、その他に国籍取得のための外国人とかが多くなっているとかで、もうすでに多国籍化しているのでしょうし。
基地問題も、日本人の雇用対策としてなら、解決できるのかもしれませんね。
やっぱり自民党は米国の傀儡政権なのかなあと思うのですが、米国としては日本を戦争の手先として使いたいので低所得、低学歴の人間が大量に生まれる格差社会は大歓迎だと思うのです。
アメリカでは若者の所得は低く、そのため、給料が高くて大学にも行かせてもらえるため軍隊に入る人が多いそうです。
記事リンクありがとうございます。
私自身はなんとかかぼそい糸を這い上げたような人間ですが、そこにはたまたまきた幸運をなんとか掴んだ的な要素もあるので実はあまり威張れたものでもありませんし。(苦笑)
ただ・・・・・
20歳の前半までにレールに乗り損ねた人間は
何をやっても無駄みたいな『努力しても無駄』みたいな風潮。そんな閉塞感と厭世観が社会に蔓延しているんじゃないかなと最近感じます。
確か派遣出身のライターが書いた戦争待望論のような物
(田原笠山さんも過去に記事にされていたような)
40代以下で中流以下の男連中のかなり(正社員も含めて)が支持をしているそうです。でも実は支持している人たちは
戦争により自分にも『富の再配分』と『社会的地位や名誉』が与えられる可能性が出来る事を望んでいるのであって、戦争は本当は望んでいない。(既出ならすみません)
このまま放置しておけば・・・・・なんだか・・・。
と思ってしまうのですよ。
後、すみませんが少し場所をお借りして、
jiさん、私のブログに伝言入れていますので見てもらえますか?
>稀さんへ
どの位置にいれば安心とかは、それはひとそれぞれなのでしょうが、どの位置にいなければならなかった、は、ちょっとしたことで決定されているのではないかと思ったのですよ。
そんで、比較してしまって、満足する場合もあるでしょうね。期間工みたいに。地方だと仕事もないし給料もこんなにもらわないから。(だから、非正規でも良い)とかね。
とか、私の努力不足、とかね。その努力ってのも計れないし。ま、運なんて言葉で片付けるのでしょうが…。
>jiさんへ
「努力」なんて言葉は、なかなか使うことが難しいですよね。人はそれぞれ頑張っているのだけれど、どうしようもないことでそれを認められなかったりしますし、ちょっとしたことで評価が悪かったりしますからね。
ボクは、もっさんのお書きになっている「ただ単にスタートラインに立つだけでも多大な力を必要とする現実
それをすべて自己責任とする今の世間の一部の風潮はいかななものだろうか?」ということが、そのいろいろな「つまづき」の原因がどうでもいいようなことで起こっているということも、問題だと思ったのですよ。
例えば、ボクの知り合いに目つきの悪いのがいて、どう考えてもそれが原因でいろいろ不利な扱いを受けたりね。
それとか、ま、イジメなんてことも、本人がどうしようもないことが原因だったりしますしね。うまく立ち回れない、とか、口下手だとかですからね。
世の中、そういったことをどこまで考えられるか、という時代だろうと思っています。試験と簡単な面接だけで人を判断できるほど面接官が優れているとも思わないし、それなら、社会構造的に変えていくという試みも必要だと思ったりします。
努力しても報われないというのが実態なんだけれど、それでも努力しなければ報われないのだけれど、それでも報われない、という、パラドックスのループみたいなものなんだろうと思っています。
>ぐるりんさんへ
そうですね、その繰り返しを、努力に置き換えてもいいですよね。やってもやっても報われないこともあって。
それでも企業は報われるというし…。
期間従業員も、3年も働かせて、そんで社員にもなれないとなると、何が悪かったのかその差を聞きたいもんですよね。
えっと、救いにはどうかは分かりませんが…。
みんな自分を誤魔化して生きているのかもしれませんね。
ボクも、何が正しいのか正しくないのか、自分の方向ってのは、いろいろ考えるところで…。
私の友人も、派遣会社の正社員として働いています。でも、仕事が終わると派遣会社をクビにされたそうです。しばらくするとその会社から声が掛かって、また正社員になり、仕事が終わるとすぐクビになる、というその繰り返しだそうです。
正社員といわないとイイ人が集らないのと派遣社員では1年以上働けないからかとも思います。私の友人は大卒で嫁さんがいます。
これでは期間従業員の方がいいと思います。
このブログは貧困層の救いとなっていると思います。頑張って下さい。
はじめまして。この記事で紹介されたブログからやってきた者です。幼い時からアトピーを患ってステロイド軟膏を使って治療していました。しかし23歳頃からアトピーが悪化し、ステロイド剤が次第に効かなくなる中でステロイドを使わない治療を選びました。仕事を辞めて治療に専念する中で次第に引きこもりに近い形になり、ようやく症状が良くなってきた時には退職から8年近くが過ぎていました。8年間の職歴の空白は世間には引きこもりという印象を強く与えます。そしてそれがアトピーの治療にかかった時間だったとわかると今度は正社員として適格でないというレッテルを貼られます。
残るのは厳しい条件の職場の正社員と派遣や契約社員です。
しかしそこでもアトピーである事が妨げになりました。一度トヨタの期間従業員の面接に行った事がありますが、面接官に皮膚の弱い方は採用できないと断られた経験があります。
今は自宅近くの部品工場に派遣社員として勤めています。
30代半ばに近い身でなんとかしたいという気持ちがあるのですが、経済的にも肉体的にも精神的にも余裕がない状態ではなかなか動く事ができない。
同じアトピーでも社会のレールに乗れた人間は学歴や職歴にも恵まれて、それが精神的な余裕に繋がって物事は好転していくのにレールに乗れなかった私は何もない。
先日あるアトピー患者のブログで研究所の職員から大学の教員に転職できたが不安だ、しかし自分のがんばりがアトピーを抱える人達の励ましになればという記事を見て、言いようのない怒りが爆発しました。レールに乗れた人間とレールに乗り損ねた人間を一緒にしてまるでアトピー代表のように記事をあげる傲慢さを指摘したのですが、返ってきた返事は自分も業界で苦労しているという内容のものでした。レールに乗れた人間と乗り損ねた人間の超えられない認識の壁を痛感しました。負け組の愚痴をダラダラと書いてすみません。
なぜかここなら自分の考えを少しでも理解してもらえると勝手に思って書き込んでしまいました。
大きな差異。
それを考える時
自分はどの位置にいれば安心なんだろうと考えます。
本当はもっと・・もっとお金もほしいし、見た目も良くなりたい・・いいもの食べて・・暮らしたい。
でも・・・・
自分は・・努力をしたか?
我慢をしたか?
それとも・・・
そんなことはしなくていいのか?
自分の努力以外で決まってることなのか?
よくわからない。
気をつけて・・・。
良いたびを。