集団への違和感

徒党を組む、というのはどうもボクの美意識に反するようで、そしてどうしても集団というものを嫌悪してしまう傾向にある。さりとて孤高かというと、少し違って糊口を凌いでいるような生き方をしていては、いよいよ孤立してしまう傾向にもあるように感じている。
秋の雨は、気だるくて、たっぷりと雨を含んだ空気が身体を地面のほうへと押さえ込もうとする。体内の水分濃度が飽和状態になるのだろうか、身体も重い。低い気圧だから、かもしれない。微妙なバランスで、例えばシャボン玉のバランスで、漂っているような、そんな感じの朝は、想い出も湿度を高くしてそこいらに登場する。とても突然に、とても不規則に…。
教師というのにその「集団性」を感じた子どもの頃、なぜだかぼくたちは教室で自習を強いられらていた。それがどういうことなのかは、その張本人である人の口から「正義」とか「権利」なんて、その頃はまだ理解できない記号を使って、押し付けられた。
それも今朝の想い出のひとつ。
その正義の賢者は、権利の使者は、自分がいかに正しいかもいろいろな方法で説く。時には暴力も正当化される。いつも激しく蹴られるのは、決まっていて、いじめられやすいタイプの子だった。それでもボクたちは、それが「正義」とか「権利」とかという正体なのだろうと、考えていたし、それは例えば8時30分には始業のチャイムが鳴る、というぐらいに、ボクたちにとっては普通のことだった。
常識とかモラルなんてのは、嘘っぱっちなことも多い、と思う。今、こうして想い出としてひとつひとつ拾ってみると、なんと悲しい出来事の多かったことか……。
ボクたちが信じていたもの、信じているものは、きっと、集団というものが決めたヒステリックな約束事なのだ。まるで教師が気分次第で殴るか蹴るかという判決を下すようなもので、こちら側には何の権利もなくて、あったとしても逃げるという方法でしか、それは実現されない権利、不自由な自由、繋がれた孤高、呪縛された解放、なんて感じの、あらかじめ決められた運命の中で生きること、のように思う。
ボクたちが感じてきたものは、そういった正義とか権利とかいうことの虚しさみたいなもので、そういった胡散臭さみたいなもので、ただただ集団に対する嫌悪感みたいなものは、増していった。
頭痛のする午後、雨が降り続ける午後、夕餉の匂いのする午後、子供たちの声がする午後、ひとりの午後、哀しみの午後…。ジムの前には自販機が数台あって、そこではホームレスのおじさんがアルミ缶を回収している。雨に濡れてもなお。
ジムの中では、欲求不満に肥え太った人たちが、ベルトコンベアの上を後退しないように走る、前に進まない自転車をこぐ、という不自然な動きを繰り返している。その運動で消費されるカロリーとやらは、3時のおやつに食べたケーキのカロリーよりは少ないほどで、少しだけその口の動きを止めればいいだろうに、これまたカロリーたっぷりの食物の、たっぷり含まれた脂肪や油分によって、顎の動きも滑らかになってしまったのか、食道の滑りもよくなったのか、止まることを知らない体内消費活動。
人の身体が、そういった大量生産大量消費時代なのだから、それに合わせて企業は動く。あるいは経済と言う一神教の教義なのか、祈りは果てしなく続く、そしてより激しくなる。それが正しい集団の構成員としての行動なのだろうと思うと、肥え太ることなく、消費しないことは、その集団での犯罪のようなものなのかもしれないと、思う。
そうしてその消費活動への参加者を集うような思考で、格差解消なんてことが言われたりもする。まるでODAみたいなもんで、消費拡大運動のようにも感じてくる。集団を拡大する方法でしか、メタボ社会は存続できないのだろうと考えている。簡単な原理だ。消費を増やすことを考えとけば、取りあえずは丸く収まる。
国家、会社、家庭なんていうものの中でしか存在することができないのもボクたちだとすると、いくら「集団」が嫌いといっても、その「集団」の中でしか生きられないのだろうから。
なんて考えているのだけれど、もう日付も変わってしまたし、雨も降りやまないので、もう寝ます。

12件のコメント

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    ぬるい。

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    肝血管腫?さん、こんばんは。
    「顔色」ですかあ。
    基準もはっきりしないところがあるのでしょうねえ。自治体によっても違うと聞くし。
    いろいろ制約もあるというし・・・。
    就職って、合格してもしなくても、長いですよね。通知まで一週間、不合格だったら、また初めから、なんてことで・・・。

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    生活保護は。。。どうなんでしょうね;まず無理でしょうね。まだ若いんだから働けばって言われてオシマイでした。肝炎だって言っても顔色良好だから信じて貰えず。面接受かって『後日連絡します』から、もう3日間連絡無しで┐(´ー`)┌

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    >ぐるりんさんへ
    まあ、企業は利益を求める集団ですし、その一部が国にも回るのですけれどねえ。そのあたりのバランスがどうも悪いようで、利益と労働者、分配率の問題かなあ、なんて思ったりしています。
    あまりひどい企業の商品は買わないぐらいしかできないのかなあ、なんて思っています。
    >肝血管腫?さんへ
    そうですねえ、看護師は、何も言わないかもしれませんね。診察したわけでもない。
    B型肝炎の・・・。
    でも、働くと悪化するんじゃないんですか?と言っても働かないと、ってことなんでしょうけれど・・・。生活保護というのは、難しいのですかねえ?

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    看護師さんは医者じゃないから何も言わないと思いますよ。自分も医者じゃないから断定的な言い方はしたくないですけど。。。自分自身B型の慢性肝炎で脂肪肝で高脂血症なので、治療費を稼ぐ為にアルバイトを探し中です。。。

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    企業の社長は、はっきり言ってしまえば、巨大な欲に取り付かれた、単なる強欲なおっさんだ。
    他人のフンドシというか、合法なら人をペテンにかけてまで金を稼ごうとする人間だ。大企業が、東南アジアにヘドロ垂れ流している、なんて話をよく聞く。
    だから、その社長が、経営する企業は、くだけた言い方をすれば、
    「海賊王」というか「プチギャング集団」
    と考えてよいとは思う。
    つまり、会社の上下関係は、ギャング集団の親分子分の関係と同じだ。会社の常識は世間の非常識と言われるのも納得出来る。
    「会社」というものに限って言えば、
    正義感を持っている管理人さんや、
    卒業したばかりの若者に敬遠されるのは当然のことと思う。

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    肝血管腫?さん、こんばんは。
    そうですねえ、気持ちは大切なのでしょうね。そうじゃないと一歩がでないですもんね。前進しないというか・・・。
    身体は、どうなんだろう。知り合いの看護師さんがいるのですが、何も言わないところをみると、大丈夫か、悪いのか、どっちかなんでしょうけれど。
    顔色は良いと思うのですが・・・。
    ありがとうございます。

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    大事なのは『負けるもんか』って想う気持ちだと思いますよ。意外と倒れそうでも持ちこたえてくれますから。。。啓発本もどうなんでしょうね。読んでも実行しなければ意味ないですし。もしもですが、体を横たえていてもどうしようもなくダルいのならば、一度肝炎検査と糖尿病の検査をされてみてはいかがでしょうか。痩せかたといい、酒、甘いものとか食事の摂取の仕方が知り合いの慢性肝炎の方々とよく似ているのが気掛かりですので。。。違ってたらゴメンナサイですけど( ̄○ ̄;)

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    >まことさんへ
    そうですねえ、どこかに属さないと生きていけないですよね。ひとりだと思っていても、ひとりではないし、集団が利益を、そして扶助社会でもあったり。
    最近、内職とかを考えるようになりました。確かに収入は少ないですけれど、そのほうが良いかもなんて。
    面倒くさくなるときがあります。
    >肝血管腫?さんへ
    なるほど、なにごともそういう前向きな思考は必要でしょうね。
    分かっているつもりなのですが、ま、その効果を疑っていたり。啓発本なんてのも読む気も起きないし・・・。
    外に出る、身体も思考も、それが第一歩かなあ、なんて思っているのですが、身体が重いし・・・。

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    常識は国によって違いはありますが、やってはならない最低限のモラルは共通しているかもしれません。何年か前の自分を想いだし、哀しくなりました。もし、出来ることなら過去は過去と見切りをつけることも大事かもしれないですね。止まない雨も無いですし、開けない夜も無いので出来ることなら前向きに・・・昔の知人にいつも賭事に勝つ人がおりまして、その人が言うには「『どうせ~・出来るらワケない』など口走ったり想うだけで、運やツキが落ちる。街なかで平気でゴミを捨ててもツキが落ちる」と言っておりました。
    物事も諦めたり出来ないと決めつけると、マイナス方向に自分自身が知らず知らずにそういう行動を取るようになりますので・・・自分の母親の言葉ではないのですが、ナニクソ負けるモンカって想いも大事かもしれないですよ。
    お大事に、早く体調回復すると良いですね。

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    自分も集団が嫌いでずっと馴染めなかったです。
    しかし集団が利益をもたらし食いぶちを作ってくれてるのも事実でした。
    生きる為に何処かに属さなければならない運命
    犬と同様に群れを作って生きる習性が人間にあります。
    国家なり、学校なり、会社なり、どこかに所属していなければ落ち着かない哀れな生き物。
    その中でつまらないポジション争いをしたりして
    そのためには人を貶めたり、殺したり
    集団の中にいて集団に殺される。
    それでもそこにいなければ飢え死にしてしまう。
    考えているといかに自分が社会不適合者かわかります。

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