生きてることがツライなら

「生きてることがツライなら」という歌があるらしい。あるブログで知った。「生きてることがつらいなら、いっそちいさく死ねばいい」という歌詞の部分に対して賛否両論あるらしい。
「命汚い」という言葉をググってみた。172件しかヒットしない。「生きているのがツライなら」という長いセンテンスは22800件もヒットする。「命汚い」という言葉をほとんど使わないということなのだろうし、知らない人も多いのだろう。
生への執着、ということは日本人の死生観では「カッコいいことではない」とされてきたのだろう。「潔さ」ということは「生」というよりも「死」と結びついている。桜の花を好きなのも、その散り際の「潔さ」にみられる汚れなさにあるのだろうし、「花は桜木人は武士」とやはり散ること、死に対して、あるいは生に対しての美意識を表現する。
何がなんでも「生きる」ということは、日本人の「恥の文化」と相まって「命汚い」ということとなったのだろうと考えている。「死をもって」という独特の文化がある国だからこそ「いっそちいさく死ねばいい」という歌も生まれたのだろうと、ボクは思っている。そのような素地がない国や地域だと、両論なく否定されるのだろうと思う。
その「ツライ」ことも、人それぞれであって、例えば「そんなことで」というようなことにしても、当人にとっては「生きる死ぬ」という深淵なる問題であったりする。それは当人にしか(実際のところ)分からないことだし、他人には考えられないほどの「ちいささ」なのだろうと思う。(森山の詩的なセンスということで、この「つらさ」と「ちいさく」というのが対比されているのだろうと考えていて、これを読み取らないと、森山が何を語りたいかも見えてこないと思うのだけれど)(ま、そしても少し森山の立場をとると「死ねばいい」と暗喩されるものがなんであるか、ということも考えなければならないと思っている)
文学論だけで語ると、これを「ダメだ」ということになれば、ほとんどの死を扱う文学は否定される恐れもあると、ボクは思っている。
ツライということも、かなりあるし、その感じ方も個人差がある。肉体的な痛みということもあるだろう。どうしようもない痛み。鎮痛剤の効かない痛みに接した場合は、死を望んだりもするだろう。そして回復の見込みのない病気や怪我なども、肉体的な痛みとは別の、ツライことが、死を望むのだろうと、思う。それは本人もだけれど、それを見ている家族もだったりして、安楽死などの問題は、そのツライということの、精神的苦痛の部分でのことなので、他人には全ては理解できない部分が多いのだろう。
こう書いていても、言葉では説明できない、うまく説明できないし、それは「ツライということ」その実態こそ、質量とも説明不可能な何かなので、そこを摘出することも、また不可能のようにも思う。
となると、やはり「ちいさく死ぬ」ということが正しいようにも考えている。
ボクが言いたいのは、生命を断つ、ということでの「死」ということばかりが「死ぬ」ということではない、ということで、たぶん、ほとんどの人は毎日の暮らしの中で「ちいさな死」を選んでいるのだろうと、思っている。自分を殺している、ということだ。死ぬことで、世の中が丸く収まっていることもあるということだ。
そういった日本人の死生観の喪失が、直接日本人の美意識の喪失に繋がっていて、どうもボクには理解できないことが眼前で起きては、ボクを殺してしまっているように思ったりもする。すでにボクは死体みたいなものなのだけれど(もうほとんど自分の規範みたいなものを取り外しているし、そういった態度が人には野良猫のように映っていて、めぐんでやる対象になっているようにも思っていたりして)、そんでも少しは自分の意思で死ぬことぐらいは出来るのだと言う、最後の自己決定権とか自由とか矜持とかは持っていたいと思っているだ。
と、強がっていては、この世の中は渡って行けないので、やっぱり身体を売ったり、文を売ったり、語ったり、しながら、自我を殺すことが、正しい処世術なのかもしれないと思うと、野良猫どころか、飼い主から捨てられた捨て猫だなあ、なんて思っているのだけれど。
それでも命汚く、風邪で熱があると「死ぬ死ぬ」と、やれ薬だ、栄養だ、水分だ、果物だ、とせっせと「生きさせろ~」と叫んでいるから情けないのだけれどさ。
も少し熱がなるので、今日も寝ときます。

人の一生なんて、あんがいおみくじで決められたりするもんなんだろうしね。おみくじならいいけれど、朝のテレビの「今日のラッキーカラー」なんてのが運命だったりで。んで、多くの奥さんは、たまに「死ぬ死ぬ」なんてハシタナイ声を出したりで、精子は行き場を失くして死んでるし、とかくこの世は生き難い。

8件のコメント

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    肝血管腫?さん、こんばんは。
    少し笑えるところが、ま、肝なんですけれど・・・

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    初めまして。シュールなブログですね。少し笑えました。

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    さといもさん、こんばんは。
    勝ち負けというか、正義感ということや、忠誠心と価値観での行動であったようにも考えています。
    そういった潔さを美徳とするのが日本人でしょうし、また、実はかなりの包容力もあって、許すということや、大いにあった思っています。
    「水に流す」なんてこともね。
    臓器移植は、ま、宗教的なことも関係しているのだろうし、中には輸血もダメな宗教もあったりで、難しい問題なんでしょうね。
    ボクは、結局は、自殺は、本人も止めることのできないことのように思っています。何かの力が加わるというか…。目に見えない。

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    日本には自らの負け、過ちなどを認めて散るのを美しいとする考えが一部にありますね。
    それが幕末や戦争においての悲劇につながっているというのだと思います。
    視点を変えると再チャレンジに否定的な社会であったり、臓器移植などで生きていくのをよく思わない人が居たりというのも
    そういった考えに基づいているからでしょう。
    色々書きましたが私は決して自殺を美化したり奨励してるわけではないですよ。

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    >考え中さんへ
    かわいいナースは知ってるのですが、どうも風邪ぐらいなんて思っているらしくて、よく効く薬とかをこっそり回してくれそうになくて…。
    今からツーリングにはもってこいの季節ですねえ。自転車ツーリングするかなあ…。んでも30キロが限界かなあ…次の日は動けなかったり…。
    >Mさんへ
    これを書いたあと、全ての詩を読みましたけれど、たしかに良い詩ですね。天才かも、と、思ったり。その一行の意味を取り違えると、ということなのですが、ま、死ぬ自由もあったり、と思っています。
    死を考えられるから生きられるということもあるし。ねえ。
    >まことさんへ
    おり合いをつけるために、どうしても殺さなければならないということも、多いのでしょうね。
    死ということが、けっこう身近にあったりするし。ただ出来るか出来ないかは別で、それも、なにかがひょいと付いたら気持が軽くなって、さっさと出来たりするのかもなあ、なんて考えています。
    どっちかというと、ひょいと付かないかなあ、なんて考えたりします。えっと、ま、同じで気になるし、そんで痛いのも嫌いなんで、鎮痛剤は常備薬だったり…。血も嫌いだし…。

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    毎日、自分を殺すことで生きてる
    そうですね、小さな死を積み重ねながら生きてます
    それで折り合いをつけてます
    たまにどうしようもなくなって死を意識しますが
    身体のどこかに異常をきたしたらそれはそれで気になるのが自分もどうしようもないところです。。。

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    森山 直太郎
    ・・でしたっけ。
    自分は良い歌詞・・詩だとおもいます。
    死という選択ができること・・。
    自分を殺せるってだけですごいと思いますけどね。

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    あははっ、熱にうなされてますね。
    きゃわゆいナースに、点滴してもらうのが1番ですよん。
    めざましTVと熟女系DVDが、お好きなようで。(^u^)
    旅ってきました、ちょこっとだけ降られましたね。
    雨のバイクは、「死ぬ死ぬ」です。

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