ムーンライトに乗って
8月、なんだね、という確認をする、ような日曜日の昼下がり。
青春18きっぷでどこかに行こうか、なんて余裕もない夏。
というかそんな余裕ができたのは、この何年か、トヨタで期間工をやっていた3回の夏だけで、それ以前のボクが少しだけ、ボクのことを社会が必要だと感じていた頃は、本当に盆も正月もなくて、年間に完全休日が一桁という状態のボクと社会との濃厚な密月だったのだろうと、今は思っている。
その密月の季節には、他のあらゆる関係を構築する、というか、それまでのものを維持することも困難となっては、随分と捨てたものも多かった。例えば、友人、いや知人と言えるほどの人との出会いもなくて、普通はありそうな利害関係や宗教的、あるいは政治的な関係も、その頃のボクには、存在しなかった。
他人との関わり合い、それどころか、父の危篤の時も、そして亡くなった時も、ボクは仕事をいていた。
その頃のぼくは強かったのかもしれない。
そしてその密月という関係は永久に続くものだとも思っていたし、ボクを守ってくれるとも思っていた。
破局したのだけれど、それでもボクは、職場を恨むことも悪くいうこともなく、ただボクがいかに間抜だったのかということについて、考える日々を過ごした後、違う街に移り住んだ。
過ぎ去った日々に対して、例えば憎悪とか悲嘆だとかの感情を表現することがどれほど醜いか、とか、どれほど無駄であるかを、ボクは経験して知っていたし、それよりは「これからのこと」を考えることに対して忙しかったのだけれど。
退職、引っ越し、という出来事の2か月後には土橋駅に居たのだし、まだ少し、そういう行動を取れるほどの希望とか夢も残っていた、のだろう。
今は……。
生きるということにおいて、希望とか夢なんてものは、それほど重要だと思っていない。
今は、眠れる場所や、餓えや飢えを満たしてくれるだけの食料があれば良い、なんて思っている。そして春や夏には18きっぷで野宿をしながら、海辺の街へ出かけられるほどの生活があればなんて思っている。
それでも「生活の柄」を決めてしまうと、その18きっぷを買うのももったいないと思ったりして、使える時間を無駄に、しながらも、もったいな、なんて思い始めている。
たぶん、考えているのだけれど、どんな状況にあっても、余裕なんて、ある意味贅沢ができない性質なんだと思っている。それは「生活の柄」というよりも「性質(たち)」の問題なのだろう。
うまく言えないのだけれど、もう、半ば、いろいろなことをあきらめていて、世界の変化とか、この国のことなんかよりも、近くの公園のことや、そこに咲く花の名前なんかのことを、気にしていたいと思っているのだけれど。
食物の自給自足、なんてことが色々語られているのだけれど、時間の自給自足みたなことも大切で、空間やら生活とかを自分が作りだしてそれを消化する、という生き方のほうが、なんというか、大きな経済活動という波みたいなものに流されないほうが、ボクらしいのかなあ、なんて思い始めている。
なんて思い始めているということは、どうも就職活動もうまくいかなくて、かなり自棄になっていて、「どうでもいいや」なんてことばかりが、頭の中にある、ってことなのだろうけれど。暑いからね。動きたくもなくて、それでも今日は卵の特売日だから、このあと自転車で買い物に行こうと思っている。
まだ盆休みでも夏休みでもないし、果たしてそんなものがあるのか、とも思っているのだけれど、というか毎日が夏休みみたいなものだし……。というか、今後の人生が夏休みなのかもしれないと、思っているのだけれど……。
ま、止めたというか、時間もなくて、そしてお金もないし…。というか、その頃は、貯金を全部使って、なんてことだったのですけれど。貯金といっても30万円とか…。
どんな旅が正解ということでもなくて、なにを感じるかなんでしょうし。
というか、それっぽい人ってのは、その旅という経験をも生きるうえで利用したり、それも出来ないとね。
旅を止めてしまった理由がなんとなくわかりました。
自分は準備されている旅にしか出たことがないので傲慢な旅行者だと思います。
自分も10代では妹背河童さんの河童が覗いたヨーロッパ・インドを読んで夢見ました。
自分でこの空気を感じてみたいと・・・・・。
そうすれば少しは変われるのではないかと・・。
結局はいけないままでしたが。
田中洌さん、こんにちは。
ボクは、そこまで我慢したことはないけれど、どうだろう、ボンベイでの野宿とかの時は一銭もなくて、ちょうどクリスマス、正月で領事館も休みで、正月明けに領事館で日本語を聞いた時には、そして食べ物を口に入れた時には、ただただ泣いたかなあ…。
金は少しあったのですけれど、たばこを買ってなくなったという究極の選択をして…。
なんてことを思い出して、少し書いてみました。
ありがとうございました。
それ、なかなかいいね。
ねぐらがあって、飢えを凌げ、渇きを癒せるだけで、じゅうぶん、ってやつ。
ねぐらを追われ、飢えを我慢したことがあるやつは、ほんと、食い物とねぐらと水にありついたときは、感激というか、ひとりで、ずっと感動するもんなあ。