無縁坂

街の賑わいのすぐ側に貧困という地獄 | さよならまでの時間。。。
年度末派遣村に人々が押し寄せてるが
そこに行く気力すらなく死に行く人
もしかして事情があって行けないのかもしれない
臨時の派遣村を頼れる人はまだマシなほうだろう。

行けない人、行かない人も多いのでしょうね。
プロ遍路のことを「四国遍路」に何度か書いたことがある。
それに対する違和感とか不信感のようなものをいつも抱いていた。それは、たとえば本当に修行として托鉢を行いたいのならば、四国というやりやすい場所を離れるべきじゃないか、という考えに起因していたのだろう。そういった方法で小銭を稼ぐということ対して卑しさみたいなものを感じていたし、その人たちのズルさや要領のよさみたいなものへ嫌悪していたのだろうと思う。
あるいは憧憬みたいなものもあったのかもしれない。ボクには出来ないことへの。自分にはできないこと、というのは、時として嫉妬心が芽生える苗床になり嫌悪が萌芽する。そういう対立があることをボクたちは知っている。
今、ボクは、派遣村から生活保護受給者になった人たちに対して似たような違和感とか不信感を抱いている。この感覚もボクには出来ないということから起きるものなのだろうかと、ふと考え込んでしまった。
というか、一つ前にも書いたのだけれど、貧困の問題が派遣という雇用問題にあり、それを救済するのは職業訓練や生活保護といった10万から12万円というなんとも微妙な額の銭であるということにすり替わっているようにも感じる。そのことが説かれる。給付金に融資、それに群がる国民たちのような図を想像してしまう。
職業訓練も派遣村方式で「行った人は救われる」ということになる。4倍5倍の競争率という滑り台から滑り落ちた人はどうなるのだろうか。(とここ何日か何度も書いてきたのだけれど)「職訓への応募は結局、終了後にどれだけ雇用されたかが判断基準になってしまっていて…(窓口担当者も遠まわしに、「おじさんは遠慮してネ!」ってな感じで、トホホ…)」というのが実態だ。そしてボクの知り合いの金さんも不合格になった。
反貧困と叫んでいる人たちは政治家であったりオルグであったり。どこかで胡散臭さがつきまとう。立てない人を抱き起こして、スプーンで食事を食べさせる、というようなことがイメージ出来ない。街宣車の上に立ち、そこから安全な場所に向かって「こんなに貧しいのです」と言っている、あの組合の「ガンバロウ~」が頭の中に浮かんでくる。卵はその手段として利用される、ような感じがする。
1.5兆円の追加失業対策費が発表された。失業者や貧困者を救済するというよりもやっぱり「銭ずら」という感じもする。金をばら撒く政治家と、それを拾う国民、ああ、あの「銭ゲバ」で風太郎がビルの屋上から金をばら撒いていたのは、こういうこと、この国への警告だったのだなあ…、なんて思っている。
貧困や格差はなくならない。それはハッキリしている。

運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
そういうことって確かにあると
あなたを見ててそう思う
「無縁坂」作詞さだまさし

肱川の焼鮎
肱川の焼鮎は美味しそうだったけれど、食べることなく通過した。

3件のコメント

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    銭ゲバ Wiki

    受診4
    量は関係ないのかなぁ。 細かい話なのでいちいち聞く勇気もないし良いんですけど・・・^^; 通院も回を重ねると高額になります。 特に採血料がバカ高い。 アニコム入っておくべきだったかなと・・・ お金がないと病院もかかれません。 (銭ゲバか!) …(続

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    まことさん、こんばんは。
    使わせていただきました。
    確かに行けない人が多いのも実態で。それは困っている困っていないということではなくて、好き嫌いとか苦手だとかいうこともあるのかもしれないですね。
    それにおっしゃる通り、なんだか政治的に偏りすぎてきていて、敷居の高いもの、あるいはなんだか権利集団のようなものを感じたりしています。
    派遣が利用されているようにも、思ったりしています。パチンコで作った借金も派遣が原因とか…。

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    記事、取り上げて頂いてありがとうございます。
    最後まで掲載をためらったのですが
    現実が現実なだけに押し寄せる派遣村に対比するものが欲しかったです。
    金をばらまいても一時的な空腹を満たすだけで根本的な問題は何も変わらず残ったままというのが感想です。
    だんだん問題の論点がズレていってるような最近の動きを疑問に感じます。。。

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