サイダーの味
花火大会に行った。
今年は遠くから見ようと思っていた。自転車で川をさかのぼり景色の開けたところまで行った。同じような考えの人も多いようで、何組かがそこに座って花火の始まるのを待っていた。ボクも川べりの土手に腰を下ろして待っていた。少し風のある花火日和の夜だった。景気づけの花火が何発か上がって、バックグランドが黒に変わる頃、カウントダウンが始まる。ドン、ド~ンと一発二発。
花火の音は聞こえる。歓声も風に運ばれてくる。アナウンスの音は聞き取れない程の音量で届いている。子供の頃のことがふわりふわりと思い出される。硝煙の臭い、青草の香り…。
花火が終わる前にボクはその場を後にした。会場を離れていく。背後で花火が打ちあがっている。振り返ることなく、ボクはアパートに向かった。途中ハローワークの前を通った。いつものオジさんがいて、酒を飲んでいた。遠く、そこから見える花火を見ていたのだろう。そこがオジさんの心休まる場所なのだろう。そして同じように誰か来るのを、いつもの平日のように待っていたのだろう。
オジさんと目が合ったので会釈だけした。もしかしたら、そのあたりの公園に寝泊りしているのかもしれないと思った。そしてハロワに通っているのかもしれないと思った。オジさんは、ボクのことなどは気にも留めないで酒を飲んでいた。
サイダーが飲みたくなった。ボクは少し行ったところにあるコンビニで三ツ矢サイダーを買った。そして飲んだ。懐かしい味がした。あの頃の夏の味がした。子供の頃のことを思い出した。夏休みや盆踊りや、夏の友やラジオ体操、朝顔を育てていたことや、魚釣りのことなんかが繰り返し繰り返し浮かんできた。
なにもかもを失ったとしても、思い出はいつまでの残っているのだろうと思った。そしたら哀しくなった。もう一度ハロワの前に行った。なぜだかオジさんと話したくなったからだ。でも、オジさんはいなくなっていた。そして花火も終わっていた。家路を急ぐ人で道路が混雑していた。
急ぐこともないボクは、オジさんのかわりにそこに座っていた。
>御巣鷹さんへ
そうですね。その暑さや寒さも穏やかなものに心象として残りますよね。キラキラ輝いた夏の日とか、そんな感じで…。
思い出の大部分は美化されるのでしょうけれど…。逆もあるかな。
>先物一郎さんへ
花火は少し離れてみたほうが良いように思います。
手筒は2年前の田原祭りと、同じ年の豊橋の祇園祭りの写真かな。そうですか、愛知の方なんですね。というか手筒だと三河地方の人なんでしょうね。
>茄子さんへ
お久しぶりですね。
そうですね。平等に貧しさがあったように思います。地域での格差はありましたけれど。地方と東京とかの。
今は地域格差はなくなって、個人格差が拡大しているので絶望の淵がクリアになっているというか、比較しやすいというか。
ずいぶんと金は使っているようですが、効果が少ないようにも思います。雇用対策もなんだか「とりあえず」的なものが多いし…。
変わりそうにもないのですが…。
お久しぶりです。私も同じ事を思った記憶があります。
今でも「子供の頃は景気が悪いといっても今に比べたらまだ良かったよなー」と思ったりします。
今日、衆議院が解散しましたね。
「今度の選挙で当選して国会に無事に戻れる議員はどのくらいいるのだろう?花火のごとく散ってしまう議員もいるんだろうな。」と思いながら国会中継を見ていました。
国会議員も落選したらただの人ですから。
9月の新しい国会で政権はどうなるのか分かりませんが、ともあれ、安心して仕事に就けて生活できる国にしてほしいものだと思っています。
きれいな花火ですね。
ワタスのところは、今夏は花火大会中止でござる。理由は不景気。
ほほう、手筒花火の画像が。
ワタスもやったことありますよ。
夏も冬も、その季節の只中にいては暑いだの寒いだので終わってしまうのですが、時間と共に美化されたりして、特に花火なんかは季節が過ぎた後に、何だか風景が心へ綺麗に描写されてしんみりしちゃいます。
葛田さん、おはようございます。
ありがとうございます。
温暖化も、暑い思いをする人たち以外はやっぱり、その問題を理解するだけなのかもしれませんね。ま、クーラーなしとか、車なしなんて言うと、生産性ということで片付けられるのでしょうが…。
読んでいて、とても美しい文章で、心が引き込まれます。ただ、平日は慌ただしい毎日で、多くの人は、他の人たちに気にも留めたりせず、その場を離れなければならなくなっています。休日にハロワの前を通ったりすることはほとんどありませんが、心情は理解できます。この、花火大会のある季節、もう少し、気温が下がり、過ごしやすいものになっているといいのですけれどね。