無財七施と失業者の心得について

黄金週間、真っ只中…。
ボクはと言えば、精神的に落ち込んでいて、それでも頼る人もいないので、なお更、気持ちが落ちるような月末でした。なんというか、気持ちも荒んでくるというか、自棄になるというか、そういうときは人にも会わないほうが良いし、個人的な意見も書かないほうが良いので、じっとしているといたというか、かなり精神的に貧しくなっていたというか…。
無財七施ということを四国かここかで書いたことがあるのですが、物だけではなくて施すものはいろいろあって「眼施(がんせ)」というのは優しい目をする、「和顔施(わげんせ・わがんせ)」は笑顔でいる、「言辞施(げんじせ)」思いやりのある言葉、「身施(しんせ)」は身体による施し、「心施(しんせ)」は気持ち、「床座施(しょうざせ)」(席だけではなくて気持ちも)ゆずるということ、「房舎施(ぼうしゃせ)」家や敷地を宿として貸す、ということが今も四国のお接待の文化の中では普通に行われています。遍路をしているとずいぶんとそういう態度や気持ちに助けられるものです。
無財、物の貧しさと心の貧しさとは違うということ。豊かさとはなにかをほとんどの人は分かっているのかもしれません。海外、例えば発展途上国から帰国する人ほとんどが「豊かさ」というワーディングで日本やその国を表現しようとします。アフリカでもインドでも貧困に苦しんでいる人たちが貧困面していないということ、それどころかその貧しい子供たちの笑顔や、知り合いになって家に呼ばれ現地食をご馳走になったり、あるいは電車やバスの中で食べ物を分けてもらったり、席を譲ってもらったりする。そのことに感動して、そして「なんと豊かな人たちだろうか」と涙する。
貧乏旅行をしている人でも、実は金持ちなのが日本人旅行者、バックパッカーだったりします。貧乏という旅のスタイル、あるいは真似事をしている人たちなのです。その人たちに貧困で喘いでいる人たちが施す、ということを経験して感動する。後ろめたさや疚しさもあるでしょう。そしてその気持ちが逆に己の心の貧困を浮き上がらせるのかもしれません。帰る場所がある旅行者は、そこでどんなスタイルの旅を続けたとしても、それは一過性の出来事ですから。施されるばかりなのだから、なおさら彼らの豊かさを実感することでしょう。
貧乏なのだけれど豊かだということは、いったいどうゆうことだろうか、なんて考えていると、やはりそういった無財七施というような行いに帰結するのかなあ、なんて思いました。社会の一員とか、構成員である、あるいは国民である、ということも、実はそういうことなのだろうと思います。
イデオロギーの差異はあるにしても、集団に参加するということは自分に出来ることをするということです。そしてその出来ることを蓄積したものを分配する機能を備えた組織が国家なのです。ヤノマミにしろこの国にしろ。
ところが現在のこの国の病は、参加するということを諦めた人たちが増加していることから、本来集められるものが集められていない状況にあるのでしょう。諦めざるを得ない状況ということも確かにあるでしょう。無財になると施すどころかさらに施されようとする人も多いように感じます。無財無施、これが身も心も貧困になるということなのだろうと思っています。与える側と与えられる側の二極化、それが貧困の問題だと言えばそれまでなのですが、何かスッパリと豊かな部分を奪い取ってしまっている、あるいは捨て去ってしまっているように思っています。
多くの人が感じるようにインドでもアフリカでも東南アジアでも、豊かさと無財有財ということとは別問題なのですから、持たないとしても豊かであることは可能なわけです。そこを奪い取ると、そこを捨ててしまうと、本当の貧困者になってしまう、ということです。
矜持なんてことを持ち出すと話がややこしくなるのでしょう。心の豊かさということで考えると、どういう状態であろうと自分が社会に向かって何かを施していれば、それで良いのではないかと思っています。というか、働くということは「金」とか「憲法」なんて理由よりも、そういった心のあり方のように思います。職業の大前提は心の豊かさの追求にあるのだろうと思います。生きるということ、それは生かされるということとは全く違うことなのですから。
横峰寺のベンチの落書き
これは四国・横峰寺への参道にあったベンチに書かれた落書き。巨乳なんだなあ、って、ここに座れなかったという悲劇、というか、写真はちゃっかり写したけれど。

6件のコメント

  • blank

    渡久米さん、こんにちは。
    そうですね。でもかなり難しいのかもしれませんね。対立することを学ぶことが多いですものね。対立というか蹴落とすというか。
    偏差値教育とか入試なんてのはいかに相手にいなくなってもらうかですし。極端な話、ライバルがお亡くなりになることを祈るような。
    ETCの問題は別として、便利さというのは、どこかでそれを受ける側と行う側に別れますから、逆に不便になりますよね。24時間365日営業なんてのもそうですし。
    ということで今日はそのことについて書いてみました。
    えっとETCは乗らないという選択もあるので…。なんて思っています。携帯はボクもつい最近ですよ。今はいらないかなあ。ホワイトプランですけれど…。

  • blank

    最近、すごく思います。もっと、人と人とが支え合って生きる世の中にしてゆかねば、と。
    自分の身近なところで、苦しんでいたり、困っていたりする人がいても、手を差し延べようとしない人が本当に増えたと感じます。
    御大層なことではなく、本当にささいなこと、「大丈夫ですか?」と優しい言葉を掛けるだけでも、救われる人はいると思うのに、それすらしない、出来ない人が本当に増えた。
    今まさに、死にゆくかもしれない人が目の前にいても、無関心を決めこむ人たち。
    経済の発展や合理性ばかりを追求し、あくせく金を貯めこむより、金銭的には貧しくとも、困ったときに、本当に支え合える人間関係がある方が、よっぽど安心して生きられて、心が豊かな気がして……、しょうがありません。
    話はずれますが、もう世の中、これ以上便利にならなくてもいいと思います。携帯電話を持つのが当たり前になり、持たない人・持ちたくない人が不当に不便な生活を強いられるのと同様に、ETCをつけていない車は、高速道路で降りられるインターが少なくなるんじゃないかと……。
    ETCをつけない人、つけたくない人を、不当に排除することはしてほしくないです。
    私のように、頭の回転が悪く、情報処理能力が低い人間は、不便でもいいから、もっと単純でゆったりとした世の中になってほしいのですが………。

  • blank

    >ホームレスさんへ
    そうですね。
    なんだか嫌なことばかりあって、とんでもないことを考えたりしていました。
    失業1年、出会いはなくて、別ればかりがあって。ま、そういうもんでしょうけれど。
    >capricorneさんへ
    どうも。ありがとうございます。
    愛知も厳しいのでしょうね。場所にもよるのだろうけれど。岡崎に就労支援センターみたいのが出来たと聞きましたけれど。
    製造業が悪いと、求人も圧倒的に少ないのかもしれないですね。
    えっと、文章は、あまりにも感情が出すぎるので、たぶん嫌われるのですよ。最初は良いのですが「なんだこいつ」なんて思われて、そんで攻撃される、ってのがボクのパターンなんです。好き勝手に書いてますから。
    えっと、今日もハロワに行きました。それでひとつ応募しました。なにか動いてないと、と思っています。バイトでもなんでも。それで本でも読んで残りの人生を過ごすのも悪くないなあ、なんて思ったりもします。
    また近況などお教えください。失業仲間として…。
    >天龍さんへ
    ども、お久しぶりですね。
    今日は少し頑張ってみました。というか、書類を送るまではいいのですけれどね。
    もういろいろと諦めているのですよ。結婚とか子供とかは無理だろうし、あとはなんとか食べられるだけの収入と、笛を吹ける環境ぐらいかなあ。
    建設はこれから暑くなると大変かもしれませんね。ボクも昔飯場に住んで土方をやったことありますよ。それでお金貯めて旅行しました。一年とかでしたけれど。刺青の人も多くて、風呂に入るのが最初は怖かったですけど…。
    チンコに真珠入れている人を始めてみたのもその飯場でした。痛くないのかなあ、なんて思ったけれど。
    ありがとうございます。天龍さんも、頑張ってください。また様子なんかを書いてください。

  • blank

    お久しぶりです。ぶっちゃけ自分も仕事してない時期が有り、連休時期になると自分もそんな感じでした。気分落ちるみたいな。周りの仲間は仕事してるのに、仕事してない自分への自責の念を持つ自分。仕事してる奴が偉いんかって言う変なプライド持つ自分。ガッツリやってやろぅぜって言う意欲ある自分、私は後者の二匹の自分に負けてました。今は地元の建設現場で毎日叱られながら働いてます。私はいつでもあなたの味方です。長々すいません。今回のブログの出だし共感しました。

  • blank

    はじめまして。
    わがんせ=「和顔施」なのですね。
    少し前に「わがんせ」という会社に履歴書を送りました。
    どんな意味があるんだろうと思いながら書類選考で落ちてしまったのでそれ以上深く追求もしなかったのですが意味が理解できました。
    ありがとうございました。
    私も愛知の中高年失業者です。
    正規社員での失業です。
    会社が廃業してしまったのですから泣くに泣けないですね。
    最近ここのサイトを見つけ過去ログなんかを読ませて頂いています。
    笑ったり(時に爆笑)、涙したり、時にせつなくなったり、
    下手な小説を読むより余程面白くってちょくちょくのぞかせてもらってます。
    写真も綺麗ですね。心が洗われる気がします。
    私も気分が時に落ちて何もする気が起こらない日もあります。
    働くことの意味とか生きることの意味とか
    管理人さんの文章を読むといろいろ考えさせられます。
    きっとこのブログのファンは、いっぱいいて更新を楽しみにしてるんだろうなぁと思います。
    ハイ、私のその一人です。
    長々失礼しました。

  • blank

    笑いましょう。
    悩んでも解決しません。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA