失業苦、自殺、ホームレス
豊橋市内にもホームレスが多くなったように感じる。あのリーマンショック以来多くなったように感じる。駅をネグラにしている人も増えている。タクシー乗場近くにいる赤い服のホームレスのオジサンもその年の冬ぐらいから駅に住み着いたと聞く。他にも松葉公園やつつじが丘の線路沿いなんてところを常宿にしている人がいる。
空き缶回収
何人かは空き缶を回収して、それを換金していくらかの収入を得ている。夕方、そんなホームレスの人たちが空き缶を自転車に積んで小池のホソヰさんを目指しているのを目にする。朝から晩まで回収しても、きっと千円なんて金額にしかならないのだろうけれど、そうするほかに命を繋ぐ術を知らない。もうそれは職業となっている、そのように感じる。
失業から、そのままホームレスになる人が多いと聞く。失業はかなりのエネルギーを使う。そして就職活動は年齢に比例してこれまたエネルギーを使う。面接に不合格になるということは、そのまま自分を否定されることで、それが何社も何社も続くと精神的に参ってしまうし、バランスを保てなくなる。
ボクもそうだった。面接どころかハローワークに行くのさえ怖くなるし、もうどこも雇ってくれる会社なんてないと思うようになる。落胆そして悲嘆、なにもかもを捨てて逃げ出したくなる。あるいは自暴自棄になる、凶暴になる。
逃げ出す…、その場所が自殺だったりホームレスだったりするのだろう。ボクも、その両方を考えたことがある。「いざとなったら」なんて思うこともあったし…。
1998年から毎年、この国の自殺者数はほぼ3万人という数字で推移している。その数で高止まりしている理由は、
12年間日本の自殺者数がぴったり3万人前後なのは別に数字をいじったりしてるわけじゃなくて単に警察の捜査能力と人員、それと上にある2要件に該当するか否か、そして監察医と解剖医の不足のため、現状の日本できちんと自殺判定される遺体の数の限界が3万体ということ。だから毎年3万人なわけ。
ということもある、のだろう。実際はもっといるのだろうと思う。増えていないわけがないと思う。
自殺した人たち
その12年の間にボクの知り合いも数人自ら命を絶った。失業苦、借金苦というのが理由だった。簡単に首を切る企業と簡単に金を貸す企業が多くなった時期でもあった。首を切られた人たちは非正規労働者となって不安定な生活を強いられた。国が雇用法を変えた結果でもあった。
国や企業に遣い捨てられて、そしてそ救済されずにホームレスになり自殺する人が増えたのだろうと思う。
ボクはなんとかタクシー運転手になった。というよりも、タクシー運転手のほかに「正規」社員で雇用してくれる企業はほとんどなかったのだ。もう「非」であることにはうんざりしていた。またどこかで使い捨てられると思っていた。いくら努力しても、真面目に働いても、「非」は「非」なのだ。
タクシー運転手となったのだけれど、ホームレスに近く、自殺にも近い位置にいる。駅の赤い服のホームレスのオジサンを見ながら、ボクとオジサンの距離なんてのはほとんどなくて、ボクがオジサンでも、オジサンがボクでも、それはまったくおかしな話ではないように思う。それほど、この国の雇用状況というのは危ういということだ。
ギリギリ
ほとんどホームレスになりかけていたボクと、赤い服のオジサンの違いと言えば、わずかに免許を持っていたかどうか、というぐらいのことだろうと思う。あるいはアパートを借りるだけの貯金があったかどうか、とか、保証人がいたかどうか、なんてことぐらいで、ほとんど差はない。
そしてタクシー運転手から失業してホームレスになるなんてことは、明日にでも起きることなんだと思っている。要するにホームレス予備軍だし、自殺予備軍なんだろうと思う。きっと。
格差…、桜は満開、花見客も満員、ホームレスのオジサンの自転車も満載。

