サクラサク

そう言えば、豊橋公園や向山の桜も5分咲。お花見を楽しむ人がけっこういた。満開の時よりも散り始めた頃のほうが綺麗だと思う。桜吹雪…。
中部ガススタンドのトイレに(そのほかいろいろな場所のトイレにも)「桜の花も散れば見苦し」なんて貼紙がしてあるのだけれど、どうなんだろう、桜の花が散ったからと言ってそんなに見苦しいとは思わない。それどころかけっこう綺麗だと思う。
ま、その標語は、自分のオシッコぐらいちゃんと始末しましょう、という意味なんだろうけれど、ボクにとっては説得力がなくて「散ったほうが美しいんだよ~」なんていつも思ってしまう。(いえ別に、だからと言って散らしたりはしませんけれど)
「『今年が最後の桜かなあ』なんて話をしながら花見をするんですよ」
老人保健施設の職員というお客様がそんなことをおっしゃっていた。
「花見までに散っていなければいいですけれど…」
と週末の花見の心配をされていた。
「ああ、また桜を見ることが出来た」
そういった行事、例えば新年とか花火大会とか盆踊り、秋祭り…、区切りの中でボクたちは生きている。区切りというか繰り返しなんだけれど、生きるということは、きっと、繰り返しを楽しみにするとか感謝するとかの、これまた繰り返しなんだろうと思う。
再生と言っても良いかもしれない。咲いて散って枯れる。そうしてまた咲いて散って枯れる。人の細胞もそうだろうし、それは運命なのだろうし。
人も生まれて死ぬ。そして死んでまた生まれる。
桜の花は散って土に戻る。人も死んで土に戻る。
桜の花も散ればなお美し…。
向山墓地公園の桜
「桜咲いたよ」向山公園にて

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