市民病院、日曜日午後

市民病院で待機・・・。
人は病み、そして死ぬ。突然に、あるいは宣告され、その人生を終えるの舞台が病院なのだろうと考えていると、ひとりの女性が乗り込んできた。そして慌しく行き先をボクに言うと携帯電話で話し始めた。
「いまさっき息を引きとったよ」
それから葬式の段取りのことを携帯電話に向かって話し始めた。段取りというよりも、どの葬儀屋にするかというのが問題のようだった。電話を切るとボクになのか、ひとり言なのか、ボソっと「死んじゃった」と言った。「寂しくなりましたね」とだけボクは声をかけた。
日曜日の病院は寂しい。
お見舞い客や救急外来で賑わっているのだけれど、その見舞い客が帰る夕方になると惜別の寂しさが空気を少し湿らせる。
子供たちの笑い声さえも悲しみのレクイエムに聞こえる。
入院中の父親を見舞いに来たのだろう母親と子供たち。タクシー乗り場のすぐ横で別れを惜しむ。子供たちは病院の閉塞感にうんざりして家に帰れることのほうが、父親といることよりも楽しいのだろうけれど、父親はこれから始まる長い夜と、これまたうんざりするほどの孤独な夜に病気とは違った痛みや苦しみを感じているように思えた。
深重なる寂しさが病院を包み込む日曜日、午後9時。面会時間の終る頃。ボクは空車のまま病院を後にしたんだ。
豊橋市民病院に待機するタクシー

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