期間工物語(3)

入寮した次の日、月曜日は健康診断の日だった。履歴書持参の面接だけで合否を決めるトヨタの採用システムで、面接よりはこの健康診断で不合格になる割合のほうが多いという噂もあった。あるいは、健康診断を安全弁としているのかもしれない。
300人もの健康診断を1日で終わらせるためには、やはりトヨタ生産システムが使われてたのだろう。300もの男たち(女性は1~2%)がいるのだけれど、病院の中は静まりかえっていた。異様な風景だった。ボクはガス室に送り込まれる人たちを想像した。そのことを強く思ったのは「裸踊り」と言われるパンツ一枚になって体操をする検査の時だった。(それは恐らく刺青がないことを確認するための体操だったのだろうと思った。面接の時もそのことを確認された。)
今までやったことがなかったし、何か滑稽でもあった。ボクたちは踊らされていた。そしてその先にガス室が待っていたとしても誰も逆らう者はいないのではないかというほど従順だった。
裸で男たちが踊る。それを女性看護師2人が眺めている。ガムをクチャクチャやりながら、ニヤニヤ笑ってはいなかったのだけれど、多くの男たちは、羞恥心からだろうか身体が赤く火照っていた。寒さのせいではないはずだった。軽度の運動のせいでもないはずだった。
その後、服を着ることなく問診があった。何もかも効率的に行われる。タクトタイムとして人間ひとりに対して70秒の時間が割り当てられているように感じていた。ボクたちは初日からラインに乗せられていたのだ。いや、生きるという能動的なことさえも、システムの中では単に生かされれているだけなのかもしれないと思った。作っているようで、実は作らされている、それが製造ラインのようでもあった。
そうして翌火曜日は、あの「肩叩き」の日だった。
「○○さんですね、荷物をまとめて来ていただけますか」と肩を叩かれる。
健康診断、特に血液検査で不合格になる人たちは、寮事務所に呼ばれて不合格になった理由を聞かされる。多くの人はその日のうちに豊田市を去って行く。さよならを言えないまま、2日前とは逆のルートを辿って田舎へと帰ってゆく。
土橋駅行きのタクシーがないのも火曜日の午後。
不合格になった人が乗り合いで土橋駅に行くなんてことは、近親相姦にも似た不埒なことで、孤独ということだけが唯一の救いのようでもあった。ボクたちが救われるのは、いつも孤独、そして沈黙だった。きっと、喋ってしまうと、泣き崩れる人が何人かいるはずだった。あるいは何人かは罵倒するはずだった。
その肩叩きは厳粛に執り行われる。宣告はさも残念なことのように粛々と告げられる。その対照として合格した人たち、ボクたちは、それまで抱いてた仕事に対する不安や、そこに持ち込んでいた人生に対する絶望なんてもの一切合切が「喜び」に変換される。そんな儀式のようなものでもあった。肩叩きの儀式は、良く出来た、あるいは、陳腐な田舎芝居を見ているようでもあった。巧妙な宗教的儀式として役割を持っていたとしてもだ。
その年の桜の花はいつまでも散らずにあった。桜の花をどちらかというと忌々しく思った。休憩の時間に外を見ると、荷物を抱えて門を出てゆくおじさんと目が合った。ボクは頭を下げた。おじさんも頭を下げた。それだけのことだったのだけれど、悲しくなった。今思うと肩を叩かれたほうが幸せだったのかもしれないと思う。そう思わせることが、その後ボクの目の前で起きたのだから。
ひまわり2009年(3)

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