努力するおとなたち

競輪、競馬、競艇、パチンコなんてギャンブルに詳しいおとなたちの話を聞いていると、まったく無知なボクにとってはまるで政治や経済なんて話をしているように思うときがある。研究し分析してそのデータを元に持論を展開する姿を見ていると、タクシードライバーにしておくにはもったいないと思うし、彼らの目が輝いていて様子を見ていると、その地位に置いておくにはもったいないなあ、なんて考えてしまう。
彼らの研究資料であるスポーツ新聞には赤く鉛筆で線や印がつけれれて、たぶんその中の何行かは暗記するほど読み込まれているに違いない。そしてそれを元に討論を重さねる。専門家、プロフェッショナルなのだ。
努力するおとなたちである。あるのだけれど、彼らの多くはパソコンもタブレットもスマホも、カーナビさえも使えなない。プロフェッショナルであるがゆえに、その専門外のことについては感心の埒外なのだ。仕事についての知識欲も希少だ。そんなことよりも専門であるギャンブルについての知識を習得する方が効果的だと考えている、そういうふしがある。
病的なのだ。それはとても素晴らしいことだと思う。職人的な生き方を美徳とするこの国の美意識に適合している。彼らにとってはギャンブルが本職であって、タクシードライバーという職業は副業なのだ。副業にたいして情熱を捧げるられる人は多くない。そこそこにやっておけば、そこそこの収入が得られる。何よりも本業に集中できる時間を得られることのほうが重要なのだ。
努力するおとなたち。その情熱をもう少し違うところに使っていれば、きっともう少し違う人生があったのではないかと、思う。そう思うのだけれど、実はそれが人間らしい生き方なのかもしれない、そうとも思う。ギャンブルに対しての能力に長けている人というのもいるだろう。学校の勉強が苦手の人であっても、その能力だけは誰にも負けないという人も多いのかもしれない。競輪選手の名前や出身地、年齢なんてのをかなり詳細に正確に記憶しているのに、英単語なんてのはまったく記憶していない。
興味あることにたいしては人は持って生まれた力以上の能力を発揮することができるし、努力もできる。だとすると、興味のあることを職業にすればいいだけのことなのだ。努力するおとなたちのように。
紫陽花

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA