カイワレ大根を育てると大根になるってことを知らなくて
お腹が空いたので近くのスーパーに買い物に行く。
野菜が高いので、という理由でもないのだけれど、生鮮売場はそのまま素通りして総菜売場に行って野菜の煮物(お煮しめか)を買って、お昼から飲み始める正月も過ぎた七草粥の前日のボクはなんとなくaikoを聴きながら(確かになんとなくなんだ)まだ15時だというのに、すっかり薄暗くなった安アパートの中で昔のことなんてのを考えている。
aikoの「春よ来い」はやっぱりとっても大好きで、例えば無人島に一曲だけ持って行って良いと言われたらこの曲を選ぶかもしれないのだけれど、そういう状態(無人島で独りぼっちという状態)でこれを聴くと、それも一曲なのでリピートしながら聴くと、きっと絶望的になって脱水状態になるのだろうと思う。そう思ったら笑ってしまった。
年賀状ありがとうございました。なんやかんや言いながら(というかボクは出さないのだけれど)もらうと(というか頂くと)うれしいもので(というか、基本的にもらい物は大好きなので)、今、一生懸命返事(というか年賀状を)書いています。年賀状と言うか9月にフクシマに行った時に買った若冲の絵葉書なのだけれど(まあ、年賀状のために買ったようなもんだけれど)それに書いています。
不幸な人間ってのは、きっと、人に頼れない人間なんだろうと思ったりした。例えばあのデパートの前を定宿としているホームレスのおじさんも、気軽に人に頼れるほどの(なんだろう、今言葉を探しているのだ。「無節操さ」「気軽さ」)精神の持主だったら(結局「精神の持主」だってさ)そこを定宿とすることもなかったろうにと思う。家族や恋人、知人や隣人、なんて人々に、あるいは役所なんてところに、相談できたなら、きっと、きっと、もっと暖かい(というかそれ以上の寒い場所はないのだけれど)ところに住むことが出来ただろうに、そう思う。
人は悲しい。
ボクも、そういう精神の持主ではないので、今もこうして、なんだか分からない人生を送っているのだろうと思うし、誰にも相談とか依頼とか依存なんてことをすることなく、そうしてしたくもなく、野垂れ死にするのかなあ、なんて、それが嫌というようではなくて、それはそれで本望なのだけれど、そのほうが、きっときっと幸せなんだろうね。
ボクも悲しいのだけれど。
空が青いね。空気は乾燥している。そのせいかカサカサする。昨日、駅中のマツキヨに行ってスキンクリームなんてものを探していた。乾燥するけれど空が青くなるので、それにきっと田原とか夕陽が綺麗になるので、それはそれで幸せかもしれないね。
新年なんてとっても古ぼけた語彙の中の希望。どこかへ、飛行機に乗って、例えば、タージマハルとかに行ってみたいね。なんでインドなのかって?思いついたままなんだけれど…。
今日から、仕事始めの人も多いか。トヨタもそうだけれど。みんなが幸せになれると良いね。きっと無理なんだろうけれど。今年もよろしくお願いします。
当たり前のことなんだけれど、どこにでも初日の出はあるんだけれど…。
(NTT豊橋支店前の初日の出)
のなさん、どうも。
きっと餓死なんてことにはならないだろうと思うけれど。
確かに生きていていい事がありそうな予感もしませんね。まあ、なんとなく生きている、というか、餓死しない程度に生きているってことなのかもしれませんね。
そう言えば田原では菜の花まつりなんてのが始まっています。まあ、暇だったら遊びに来てください。タクシーに乗れとは言いませんから。
餓死とか他人事ではないな、と思います。年末、家族に「乞食」(差別用語すみません)呼ばわりされました。みじめです。(泣)少し、ウツ気味です。年明け早々、暗くてごめんなさい。大袈裟ですが、生きてていい事あるかしらってね・・・。