杜国

三川の国保美といふ処に、杜国が忍びて有りけるをとぶらはむと、まづ越人に消息して、鳴海より跡ざまに二十五里尋ね帰りて、其の夜吉田に泊る。
寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき

「運転手さん、杜国をご存知ですか」
その老人は聞いた。
「ええ、少しぐらいなら」と答えると、「どうなんでしょうかね、芭蕉と杜国は愛し合っていたんですかね」と聞いてきた。
「鳴海から豊橋までの二十五里を一日で戻ってくるぐらい好きだったんでしょうね」
「そうですね。『寒けれど』の句が杜国と“寝た”証拠だと言う人もいますね。わたしは、そのほうが良いと思うんですよ。芭蕉が同性愛者であったほうが納得する場合が多い」
「同性愛というか、バイセクシャル、あの頃は男色なんてのは今ほど違和感がなかったし、それはそれでひとつの風雅だったのかもしれないですね」
「美しいものは美しいんだいう純粋な心というもの、なのかもしれませんね」
「はい、よく男女間の友情について論じられることがありますが、それはそのまま同性間の恋愛ということでしょうし。同性間の友情もあるし、愛情もある、その表現方法というのは人それぞれなんだろうと思います」
「なにかがそれを悪だと決めている。宗教だったりする場合が多いんですけれど、そういったことに囚われているうちは何も見えないということなんでしょう。『見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。』ということなんでしょうね。人生はそういう『笈』を背負っているのかもしれませんね。『笈』あるいは『負』、『老』かもしれませんし」
「ああ、なるほど、そう考えると、読み返してみたくなりますね」
「どちらまでですか」
「豊橋駅、ああ、渥美線のほうに。田原まで行って、それから保美に行きますので」
「杜国ですか」
「ええ、潮音寺まで、それから隠棲地跡へ。今日はね、杜国祭なんですよ」
旧里を立去て 伊良古に住侍りしころ 春ながら名古屋にも似ぬ空の色 杜国
「今も渥美半島にはたくさんの若者が『旧里を立去て』暮らしているんでしょうね。きっとこの句のような青春を送っているのかもしれないですね」
「春は哀しいですね、ありがとうございました、1800円になります」
潮音寺にて
潮音寺にて
杜国

本名坪井庄兵衛。名古屋の蕉門の有力者。芭蕉が特に目を掛けた門人の一人(真偽のほどは不明だが師弟間に男色説がある)。杜国は名古屋御薗町の町代、富裕な米穀商であったが、倉に実物がないのにいかにも有るように見せかけて米を売買する空米売買の詐欺罪(延べ取引きといった)に問われ、貞亨2年8月19日領国追放の身となって畠村(現愛知県渥美郡 田原市福江町)に流刑となり、以後晩年まで三河の国保美(<ほび>渥美半島南端)に隠棲した

笈(おい)の小文
笈の小文 保美

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