母の日

おはよう。
こんな時間に目が覚めるのは徹夜で働いていたから。それに雨。数十時間分の街の匂いが身体に染みついているまま布団の中にもぐり込んで、寝たり起きたりの一日だった。シャワーでその匂いを洗い落としたかったのだけれど、布団の中から出ることが出来ずに夜になった。雨が止んでいるのだけれど、街は霧の中にある。
寝過ぎたのか、耳の後ろからずっと「キーン」という音が聞こえ続けている。土曜日だというのに外は静か。まだ24時前。大安だったのできっと結婚式なんてのも多かったに違いないし、そのあたの二次会なんてので街中は賑わっているはずなんだけれど、その喧騒はここまで届かないでいる。
広沢虎造の浪曲なんてのを最近聞いている。昔、なにが面白いんだろうと浪曲を聞いている父親のことを思ったことがあるんだけれど、その歳になってやっと分かる。ラジオの時代だったころは、落語や浪曲なんてもので、物語を想像することの時代だった。想像するということが好奇心につながった。それはきっと外へ出る力になったのだろう。
父ではなくて、明日は母の日。母親はボクを産んで幸せだったのだろうか。そして幸せなんだろうか。ボクは幸せではないのだけれど。「産まれてきてすみません」なんてことは思わないのだけれど。ボクのような子どもが産まれることを想像すると子どもなんてものをつくろうとは思わないでいたし、今もそう思っている。ボクの子どもにボクのような人生を送らせるなんてことはしたくない、そう思う。
少子化の原因はそこにもある。不幸の種をわざわざ蒔く人はいない。よほどのサディストでない限り自分の子どもを不幸の世界へ置き去りにできるわけがない。いやほとんどの親は超楽観主義者で我が子だけは幸せに暮らせると考えているのかもしれない。
Amazonで母の日のプレゼントを送った。
幸せではないけれど、不幸ではない。贅沢は出来ないけれど、貧しくはない。貯えはないけれど、借金もない。悲しみはあるけれど、苦しみはない。世の中の役にはたっていないけれど、迷惑もかけていない。やくざな商売だけれど、やくざではない。なんて考えていると、そういうことってのが幸せなことなのかもしれない。
ボクは、産まれてきてよかったのだろうか。そうして母親は産んだことを幸せに感じているのだろうか。
江比間にて

3件のコメント

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    かぶとさんへ
    一緒に暮らすということは、たぶん無理かなあ。というかそういうことを望んでもいないので…。
    じゅんじゅんさんへ
    あのじゅんじゅんさんかな?お久しぶりです。
    まあ、そういう時期だと思うことも大切です。

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    無職で引きこもりです。二年半仕事していません。どうしょうもないクズです。産まれて来なかったほうが良かったでしょうね。どうしていいかわかりません。情けない限りです。

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    お母様と一緒に暮らすことはできないのですか?

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