咳をしてもひとり

風邪をこじらせてしまっていたのだけれど、休むわけにもいかなくてぼんやりと仕事をしていた。毎年この季節になると体調を崩してしまうのは、きっと何かの因果なのかなあ、なんて思ったりしている。去年はあれほど花見にも出かけたのだけれど、今年は気がつけば花も散っていて、生垣の躑躅なんかが咲いていたりする。
ボクの住むワンルーム安アパート界隈では春だろうが冬だろうが季節に関係なくただただ同じような時間が流れている。住人はひっそりと生きていて、物音ひとつしない時間帯が長く続く。普通はテレビの音だとか、階上の足音だとか、貧しいがゆえ争う声なんてものが聞こえそうなものだけれど、そういった音がしないので、逆にドアの向こうの足音なんてものに驚いたりする。両隣の生存を気にしたりして、たまに壁に耳をつけて物音がするのを確認しては安心したりする。安心したりするのだけれど、名前も知らないでいる。
放哉の「咳をしてもひとり」がなんとなく分かったような気になる。寂しいということではなくて、こんな静かな部屋の中でみょうに咳の音だけが際立ってしまっている。それがおかしいのだ。病の心細さというよりも、生の確認。
ひとりで生きていると、独りごとを言うことが多くなる。そこに誰もいないことが分かっていても、つい誰かの名前を呼んだりもする。それは哀しいとか寂しいとかという感覚とは違うものなのだ。言ってしまってから笑ってしまうことがある。
こういう生活が嫌いだ、というわけでもなく、こういう生活から逃げ出したい、なんてことも思ってはいない。逆にできればもう少しひとりでいたいと思っている。仕事なんてものから逃れられれば、そして引籠って生きていきたいと思っている。それが出来ないのは金銭的な問題だけで、ボクに才能があれば人間の集団と離れた場所で糧を得ることもできるのだろうけれど、なんにもないボクには結局人と関わったことでしか生きていけないでいる。
ホームレスが似合っているのかなあ、なんて思うし、憬れたりもする。それが夢だったりするのだから、普通に考えればダメなやつなんだろうなあ。
生きてゆくのは、ほんと面倒くさいね。40代で亡くなるってのは、それはそれで幸せだったのかもしれないと、咳をしながら思っているんだけれど。
咳をしてもひとり

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