大須で江戸噺2013 佃祭と与太郎についての一考察
大須大須で江戸噺、今年も行ってきた。そして今年も雨だった。
それも電車が止まるほどの雨。風邪も引いていたので、そして薬も服んでいたので、ぼんやりとした一日だった。今年は昼公演と夜公演二回聞いてきた。昼公演は…ごめんなさい、ほとんど寝てしまっていて、鯛朝師匠の「祇園会」も夢花師匠の「七度狐」も、記憶なし。
佃祭
夜公演は咳止めの薬の替りに栄養ドリンクを飲んで聞いた。
「情けは人の為ならず」と始まる「佃祭」がこの日のトリだった。春風亭柳太郎師匠。
住吉神社の夏の祭礼で賑わう佃島を舞台に、「情けは人の為ならず」という諺をテーマとした江戸落語である。
主な演者は五代目古今亭志ん生、三代目三遊亭金馬である。
志ん生は長屋の騒動を強調して喜劇調に演じていたのに対し、金馬は笑いを控え目にして人情話を重点的に演じるという違いがあり、現在もこれら2通りの演出で行われている。
話は大きく「出掛ける前」「佃島船着場」「佃島船頭宅」「仮通夜の次郎兵衛宅」「与太郎の身投げ探し」の順番に進む。
最初、あるいは最後を省略する演出もある。それは「本作のサゲは以上の風習(戸隠信仰と梨)を基にしたものであるが、現代では知っている人がほとんど居ないため、あらかじめ枕で戸隠信仰と梨の関係を説明する必要があり、口演時間の関係上で次郎兵衛が帰宅した所で打ち切る場合が多い」というのが理由だそうだ。そして、「死なぬが仏」と終わる雲助師匠のような演出もある。
権太楼師匠の佃祭
ボクがこの噺を初めて聞いたのは権太楼師匠だった。それは、最初と最後を省略して仮通夜の場面で与太郎の悔みをたっぷりと聞かせる演出のものだった。そして、その権太楼師匠の演出のものが一番好きなのだ。
与太郎が「次郎兵衛さん死んじゃったの?なんで死んじゃったの?あたいね、次郎兵衛さん好きだったよ。みんなはねあたいのことバカだバカだ言うけどね、次郎兵衛さんはね『与太さんは、それで良いんだよ』って『与太さんはそれで良いんだよ』ってね…あたいね次郎兵衛好きだったよ…死んじゃったの……死んじゃったの…………嫌だあたい、次郎兵衛さん好きだったんだから、返しておくれよ、返しておくれ、次郎兵衛さん死んじゃいやだ返しておくれ、いやだあたい」と絶叫する。
(「…」この部分の間の取り方が抜群に素晴らしいのだ)
与太郎への愛情
情けは人の為ならず、この噺では川に飛び込もうとした女を助けたことによって次郎兵衛が救われたということが主題になっているのだけれど、もうひとつの「情け」次郎兵衛の与太郎への愛情とが重なって「人の為ならず」を強調している。
この与太郎の悔みの演出で金馬師匠以上の人情噺に仕上がっているのが権太楼師匠の「佃島」なのだ。この場面は何度聞いても涙が流れてくる。
テーマ以上のテーマになってしまっていることで、演出の失敗だという声もある。しかし、生と死、正常と異常、祭りと祭りのあと、なんて対立したものが強調される点においては効果的なのだろうと思う。
志ん生師匠、金馬師匠の他に志ん朝師匠や柳朝師匠、鯛昇師匠での「佃島」も聞いたことがある。でも、ボクとしてはやっぱり権太楼師匠の演出のものが一番好きなのだ。
そしてたぶん、落語の力というものがあるとしたら、「与太さんはそれで良いんだよ」という与太郎の肯定(談志師匠の言う「業の肯定」)なんてものが、ボクたちを優しくしてくれるものだと思ったりもするのだけれど。
柳太郎師匠は、まあ、どうなんだろう、名人たちと比べるのは悪いかなあ……。なんてところで、大須で江戸噺、また来年行けると良いのだけれど。そして来年こそは雨が降らないことを祈っていたり。
大須で江戸噺、昼公演、鯛朝師匠の姿が見えたりで、整理券98番目
夜公演前、圓馬師匠が見えたりして、整理券10番目


