アキ

少しだけ雨に濡れて近くのコンビニに行った。おでんに中華まん、レジの前にはクリスマスケーキまであって、秋が整然と並んでいた。

そのケーキを眺めているとレジのお姉さんが「いかがですか?」とボクよりオクターブ高い声で聞いてきた。「えっと、ひとりなんで」…と言おうとしたんだけれど、それは言葉にはならずに「ええ」とハッキリとしない返事をしてしまった。「お姉さんも付いてくるんなら」…なんて言えばよかったかなあ、そう帰り道に考えた。でも本当に付いてきたら面倒だなあ…なんてことも考えた。面倒かあ…なにが面倒なんだろうか。

ボクの時間は一片のキセツとも無関係に流れている。季節はレジの前のように整然と並び過ぎ去ってゆく。秋になったからと言ってボクの生活にはなんの変化もあるわけではなくて、ただ朝が来れば安アパートの階段を下りて、そして夜になれば同じ階段を上って一日が終わってゆく。たぶんこの世の中の多くの人は同じような日々を送っているのだろうけれど、そしてそれをシアワセなんて言うのだろうけれど、ボクとしてはもう少しその季節と関係を持った生活をしたいのだ。例えば秋には稲を刈り、そのお祭りをして、冬を迎えるような。

ボクたちはもうすっかり消費者という人格を与えられてしまって、ただただレジ前の季節を眺めては、秋を与えられる存在になってしまった。季節はコンビニやスーパーの店先からやってくるようになった。そしてボクたちはそこに秋を求めるようになった。

ボクたちはコントロールされているということだ。それはなにも季節だけに限ったことではなくて、最近巷間流行の女性登用なんてことや省エネなんてことも同じで、盲従盲信することが正義だとかモラルだなんてコントロールされているのだ。そしてクリスマスにはケーキを食べないと消費者の風上に置けないヤツなんてことになる。流行は造られ消費者に流布されるってことだ。

そうボクたちは人ではなくて消費者なのだ。

そしてその消費者は昼間は企業という場所で生産者になって、いかに消費者に消費してもらうかということが目下唯一最大の課題なのだから、一人二役、この世は芝居仕立てで動いている。自爆営業なんてのが問題視されるけれど、なんてことはない自爆経済なのだから、それは最も効率の良い方法ともいえる。

というボクもキセツによって生きているひとりで、景気という消費と生産の過多がそのままボクの幸せに繋がっているのだけれど。

面倒なのは、お姉さんに値段が付いてないことなんだと思ったりもしたんだけれど、もしお姉さんに値段が付いていてボクが消費者になったとしたら、景気はさらに拡大するのかなあ、なんて考えたらなんとなく経済ってのが少しだけ分かったような気がした。気がしただけだけれど…。

羽田祭り
羽田祭りは台風で大変だったね。

2件のコメント

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    けんちんうどんさん、どうも。
    寒くなりましたね。いっきに寒くなってしまって。随分前ですけれど、この時期、阿蘇山に雲海を見に通ってました。なかなか見ることができなくて…。
    季節は思い出からもやってきますね。

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    「季節はコンビニやスーパーの店先からやってくる」
    本当にそうですね。
    いつもながら、田原笠山さんの詩人のような表現に感心しています。

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